大嘗祭で供える麻織物「麁服(あらたえ)」 調進の人々「立派な物ができあがった」

 14、15日に皇居・東御苑で行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的儀式「大嘗宮の儀」では、大嘗宮に設けられた「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」に、徳島県で作られた麻の織物「麁服(あらたえ)」が供えられる。古くから麁服を調進してきたとされる「阿波忌部(あわいんべ)氏」直系の三木信夫さん(83)は「皆さんのおかげで立派な麁服ができあがった。依頼された品物をきちんと納められた」と伝統文化の一翼を担う誇りをにじませた。(吉田智香)

 10月27日に徳島県で行われた麁服の出発式。あいさつに立った三木さんは「麁服は阿波忌部が織ったものを用いるという皇室の伝統から依頼され、忌部一族と調整し、供納してきた」と歴史をひもとき、「光明天皇(の大嘗祭)を最後に途絶えていたが、大正天皇(の大嘗祭)で復活した」と紹介した。

 徳島県埋蔵文化財センターの福家清司理事長によると、平安時代に編集された法令集「延喜式」には、大嘗祭の儀式に必要なものや、調達の手続き、品目などが記されており、「阿波国献ずるところの麁服(阿波の国が献上する麁服)」「阿波国の麻植郡の忌部がつくる」といった記述がみられるという。

 三木家に伝わる古文書には、亀山天皇から光明天皇まで計6人の大嘗祭で麁服を調進した記録が残っている。大正の大嘗祭では三木さんの祖父が復活させており、三木さんにとっては平成の大嘗祭に続く調進だ。

 麁服の原料となる大麻の種まきは今年4月、徳島県美馬市木屋平地区で行われた。特別な許可を得て、地元のNPO法人「あらたえ」(西正二理事長)が中心となって栽培。畑は柵やセンサーで警備し、住民らも見回りなどを担った。成長した大麻を7月に収穫し、繊維から糸を紡いだ。

 その後、糸は、阿波忌部氏が拠点を置いたとされる徳島県吉野川市山川町地区の山崎忌部神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進協議会」に託された。9月には織り初め式が開かれ、地元の巫女(みこ)姿の女性が機織り機での作業を開始。7人が交代で織り進め、10月に4反分の反物を仕上げた。

 栽培や機織りについては県内外の関係者の指導や協力も大きく、美馬市と吉野川市の双方の「縦糸と横糸が交わるような」(協議会関係者)態勢によって織り上げられた。

 三木さんは、「多くの人の努力や苦労のおかげで、古式にのっとり無事に完成した。徳島県の伝統文化として、多くの方の物心両面での支援をいただいた」と伝統を守る重責を果たせた感謝を口にする。麁服作りに関わった大勢の人たちとともに大嘗祭を迎えられる喜びを、三木さんはかみしめている。

■麁服 

 大嘗祭の際に納められる麻の織物で、古代から阿波国の阿波忌部氏が調進してきたとされる。大嘗祭では、皇居・東御苑に臨時に建てられる大嘗宮の「悠紀殿」と「主基殿」に、三河(愛知県)の絹織物「繪服(にぎたえ)」とともに供えられる。麁服の調進は南北朝時代にいったん途絶えたとされるが、大正天皇の即位時に復活。昭和、平成の大嘗祭でも調進された。

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