はるか古代にさかのぼる…朝鮮半島との“複雑怪奇”な関係史 日本書紀が問いかける「歴史の記憶」

 【国難を乗り越える 日本書紀】

 来年、令和2(2020)年は、現存するわが国最古の正史『日本書紀』が編纂(へんさん)された養老4(720)年から、ちょうど1300年にあたる。この神代から第41代持統天皇の御代まで全30巻にわたる『日本書紀』を、単なる太古の昔、別世界の物語のように捉えてはいけない。

 建国以来、現在まで一度の王朝交代もなく皇位が継承されてきた正統性を示す重要な根拠の一部であるとともに、往時の先人たちが、幾多の国難を乗り越えてきたことを伝える「歴史の記憶」である。

 戦後最悪とされる昨今の日韓関係、そして、いまだ解決せぬ北朝鮮による日本人拉致問題や核問題…。これを、《日本と朝鮮半島との関係》と捉えれば、その複雑な関係史は、はるか古代にさかのぼる。

 『日本書紀』によると、第14代仲哀天皇は、即位から8年目(199年)、九州で反乱を起こした熊襲(=ヤマト王権に抵抗した勢力)鎮圧のために遠征を決意した。この時、神功皇后は神懸かりして神託を授かり、熊襲鎮圧のためには、海を越えて新羅(しらぎ=朝鮮半島南東部にあった国家)を平定すべきだと示唆した。

 仲哀天皇は、神託を受け入れられず熊襲を攻めたが、突然崩御した。遺志を継いだ神功皇后は翌年、朝鮮半島に遠征して、新羅だけでなく、高句麗(こうくり=同北部を支配した国家)や、百済(くだら=同南西部にあった国家)をも戦わずして服属させた。熊襲には新羅のバックアップがあったとみえて、その後、反乱は鳴りを潜めた。

 時は下って、第26代継体天皇の御代には、百済が日本に朝貢してきた一方、即位から21年目(527年)、百済と抗争中だった新羅から賄賂を贈られた筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)が反乱を起こしたと『日本書紀』にある。

 高句麗に国土の北半分を侵略された百済は、日本の勢力圏であった朝鮮半島南端、任那(みまな)のうち西半分の4県割譲を求めてきた。新羅も任那に度々侵攻するなど、半島情勢は“複雑怪奇”を極めた。

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