「虚構」を生きる力に 倉数茂さんの長編「名もなき王国」

 日本SF大賞と、純文学に贈られる三島由紀夫賞。倉数(くらかず)茂さん(50)の長編『名もなき王国』(ポプラ社)は受賞こそ逃したものの、ジャンルをまたいで著名な文学賞の候補となり注目された。「生きていくためには、フィクション(虚構)が必要」と語る作家に今の創作観を聞いた。

 〈これは物語という病に憑(つ)かれた人間たちの物語である〉。『名もなき王国』は中年小説家「私」のそんな語りから始まる。ある宴席で、「私」は敬愛していた幻想作家・沢渡晶(あきら)を伯母に持つ澤田瞬という若い作家と意気投合する。各章に晶や瞬らの幻想味のある小説が並べられ、それらを孤独と悲哀がにじむ「私」の自伝的な文章が挟む。そんな“入れ子構造”の物語のラストには、全体を揺さぶる仕掛けがあり、痛切な余韻を残す。

 中盤に置かれた短い「小説内小説」が出発点だったという。「そこから“増築”を重ねるようにして外へ物語を広げていった。『何を語るか』だけじゃなく『いかに語るか』への関心が強くある。一つの章が別の章を常に揺れ動かす感じにしたかったので改稿も随分しましたね」

 デビュー作『黒揚羽の夏』(平成23年)は、田舎町での殺人を描く少年少女物。ホルヘ・ルイス・ボルヘスらの南米文学や江戸川乱歩らに親しんだ書き手らしく、その著作は幻想性に富む。今作では、私小説的な自分語りやハードボイルドの叙情も取り込みつつ、読者を精緻な虚構の世界に引き込んでいく。

 「虚構って、生々しい現実との間にクッションを入れてくれるものだと思うんですよ」と話す。「目の前の現実に対し『実はこんな考え方もできるよね?』と別の解釈の可能性を示す。そういう虚構を作る力が衰えると、主体性を失い、圧倒的な現実にのみ込まれてしまう。現実は見方次第で変わるんだ、くらいの気持ちでいる方が間違いなく生きやすい」

 日本近代文学の研究者でもあり、現在は東海大の准教授として創作を教えている。30代のころには職に困り、中国の大学で日本語を学ぶ学生を対象に日本文学を教えたこともある。そうした雌伏(しふく)の時期も、作家としての財産になっている。

 「今回の作品にはつらかった実体験を素直に書いた部分も多い。人工的なものを作っていると、自分の肉声で語りたくなる瞬間がある」と笑う。「今の社会的な問題を切り出してくるのも小説の醍醐味(だいごみ)。リアルな手ざわりのある現実の断片を書きたい、という気持ちも今は強いですね」(海老沢類)

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ