【歴史事件簿】火災のドサクサで「斬首」された未決囚33人…幕末獄舎の悲壮:イザ!

2014.9.14 08:57

【歴史事件簿】火災のドサクサで「斬首」された未決囚33人…幕末獄舎の悲壮

 「果ての二十日(はつか)」と言われるように死刑が執行される12月20日には、今度生まれ変わるときには真人間になるよう「一条戻り橋」をひき回された後、刑場へと向かう。こんな姿が一般的だったはずだった。

 だが幕末の京都は佐幕派と倒幕派が入り乱れ、切っては切られる無法地帯と化していた。このため、獄舎内は倒幕派浪士らであふれ返っていたため、刑場にいくこともなく処刑されていったのかもしれない。

 そういったところに、坂本龍馬とお龍が獄舎の隣の武信稲荷(たけのぶいなり)神社(中京区)境内にあるエノキの大木にのぼり、収監中のお龍の父の様子をうかがったというエピソードも伝わる。

 また、町内の子供がエノキの木の上から平野らの処刑の様子を目撃したという話も残る。

 樹齢約850年のエノキの高さは23メートルあり、てっぺんまでのぼれば、当時ならばかなり遠くまで見渡せたはず。このため子供らは市中の延焼状況をうかがっているうちに、偶然にも処刑シーンを見てしまったのかもしれない。

 平野らの遺体は現在の西大路通丸太町付近にまとめて埋められた。ところが13年後の明治10年、名前が朱書きされた瓦と一緒に白骨が見つかり、近くの竹林寺(上京区)に埋葬されている。

 寺の記録には、このとき埋葬した人数は33人ではなく37人と記されている。(園田和洋)

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