立身出世と民の救済…空海はじめ地方の若者が担った“日本の仏教”:イザ!

2014.7.21 18:20

立身出世と民の救済…空海はじめ地方の若者が担った“日本の仏教”

【渡部裕明の國史へのまなざし(5)】

 四国八十八カ所、いわゆる「四国霊場」が開かれて今年で1200年目を迎えた。四国霊場は、讃岐国(香川県)出身で真言宗の開祖、弘法大師空海が平安時代初期の弘仁6(815)年に始めたとされている。平安初期といえば、仏教伝来から300年近くが経過し、列島各地に豊かな実りがもたらされていた。今回は空海らの活躍を通じて仏教がどのように日本に根付き、独自の文化を花開かせていったかをみてみたい。

■先祖供養を願う教え

 空海は奈良時代の宝亀5(774)年、讃岐国多度郡(善通寺市)で生まれた。伯父を頼って平城京に出て官吏を目指したが断念し、仏教を志した。四国の山野で修行し、延暦23(804)年、のちに天台宗の開祖となる最澄らとともに唐に渡った。

 彼が中国留学で持ち帰った密教は当時最新の仏教で、嵯峨、淳和天皇らの帰依を得た。四国霊場の開創は、その教えを広く庶民に広める活動の一つだったとされている。

 仏教は6世紀半ば、朝鮮半島の百済からもたらされた。最初は蘇我氏や渡来系氏族に受容され、舒明天皇によって最初の官寺・百済大寺(大安寺)が建立された。

 7世紀後半になると天武天皇らが仏教を重んじ、豪族が競って氏寺を建てるようになった。推古天皇の32(624)年には46カ寺しかなかった寺院が、持統天皇6(692)年には545カ寺まで増えている。