「安楽死」の選択に葛藤 ALS死亡女性の友人、思い吐露

 「『元気になってほしい』という思いと、『早く楽にさせてあげたい』という思いの両方があった」。自らを殺害するよう医師に依頼したとされるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性=当時(51)=と学生時代から交流を続けてきた友人(51)が産経新聞の取材に応じ、女性への思いを吐露した。

 女性は以前、東京で建築士として活躍していた。「クールで歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをするが、不思議な魅力のある人。昔から大人っぽい考え方をしていた」といい、悩み事があれば友人らが相談することも多かった。

 ALSの発症は平成24年ごろ。転倒しやすくなるなどの違和感から病院を受診し、判明した。当初はつえをつきながら歩く状態で、闘病のために地元の京都へ戻ったころから友人は定期的に自宅を訪れるようになった。

 「死にたい」。女性はそうこぼすようになった。ALSは全身の筋肉が衰えていく難病。散歩、食事、会話-。当たり前だった日常が少しずつ、少しずつ奪われていく。「体は動かなくなるのに頭はさえていることが何よりも残酷。彼女は頭がよくて、海外留学をするなど自由に生きてきただけにつらかったと思う」と話す。

 海外生活が長く、日本という枠を超えた人生観を持ち、夢を見てかなえ続けてきた女性。気高く、人一倍懸命に人生と向き合い、生きてきた。「だからこそ、自身の意思と体とを切り裂いていくALSと、病魔に侵されるままなすすべがない自身の姿がどうしても受け入れられず、許せなかったのではないか」

 体が思うように動かなくなり、ほどなくして車いす生活に。約5年前からは目で文字盤を追ってコミュニケーションを取るようになった。歯がゆさや怒りから時折周囲に当たることもあったが、筋力の衰えとともにそれもままならなくなった。「それでも、彼女は常にあふれる自尊心を持ち続け、尊厳を守るための死を考え続けていたのだろう」。友人はそう振り返る。

 安楽死が認められているスイスへの渡航を計画したこともあったが、目前で断念した。協力を依頼したスイスの団体で可能だったのはあくまで「自殺」。スイスに渡って薬が入ったジュースを飲み干すことすらかなわぬほど、病魔は女性をむしばんでいた。

 その後はブログを開設して闘病生活の思いをつづったり、ツイッター上で知り合った人と苦しみや思いを共有したりするようになっていったという。

 亡くなる12日前、友人は遺言書を託された。「死に前向きな行為をすることで気持ちを落ち着かせているのかな」。気に留めなかったが、それから2週間足らずで女性は旅立った。別の友人のもとには、亡くなる前日や当日に「今までありがとう」「穏やかな気持ちです」とのメッセージが送られてきたという。

 訃報に接してほどなくして、それが病死ではなく、自ら選んだ死だった可能性があることを知った。「日本で安楽死は違法だということは、彼女もわかっていた。でも、死を熱望していたことも痛いほど知っていたから、楽になれてよかったとも思う」

 率直な気持ちを明かし、こう続けた。「医師の逮捕を知った今は、胸がザワザワして落ち着かない」

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