九州豪雨、自衛隊「災害派遣」の現場リポート 道なき道を50キロ、物資背負って行軍… 桜林美佐氏が緊急寄稿

 九州豪雨被害に対処するため、陸海空の自衛隊が「災害派遣」されている。自衛官たちは日夜、人命救助や土砂の撤去、被災者支援に奮闘している。被害地域が広がり、防衛省は派遣規模を当初の1万人態勢から2万人態勢に拡大している。現場の様子について、防衛問題研究家の桜林美佐氏が緊急寄稿した。

 見覚えのある顔だった。災害派遣のダンプ車両のハンドルを握っているのは、いつも演奏会で管楽器を奏でている、あの女性隊員だと思った。地域では恒例になっている自衛隊の音楽演奏会、実はその楽団員はそこに所在する駐屯地のダンプ車両中隊に所属していたのだ。黒いマスク、いつもと違う厳しいまなざし、彼ら彼女たちは被災地に向かっていった。

 「この雨は尋常じゃなさそうだ」

 九州各地の自衛隊は7月最初の週末、それぞれの休日を過ごしていた。だが、熊本の雨が激しくなり「災害派遣」の必要性が高まると、誰が言い出すわけではないが自主的に待機を始めていた。

 多くの部隊では、派遣準備の号令がかかるや否や、あらゆる隊員が瞬く間に駐屯地に集合したという。「困難の中にいる人を助けたい」という思い1つだ。その後、九州全域に被害が拡大。週明けにさらなる派遣要請が続き、隊員たちは徹夜状態で被災地に出発。現地でも夜を徹しての救助活動にあたった。

 しかし、関係者もこの時は、今回の災害派遣がこれまでとは様子が違うものになるとは思っていなかっただろう。球磨川の流域は10以上の橋が流出し、道路が寸断され、通信も途絶した。約50キロに及ぶ区間の球磨村などの住民は完全に孤立し、車両を入れての救助は困難だった。

 通常なら、自治体に自衛隊の連絡員が入り調整を行うが、球磨村については役場自体も孤立してしまっていた。

 「歩いていくしかない…」

 球磨村に派遣された陸上自衛隊は、道なき道を分け入り、ロープをかけて川を進み、ひたすら前進した。被災者のための物資を背中に担いでの行軍だ。急な斜面も現れる。2次被害の恐れもあるなか、隊員の生命を預かる現場指揮官の胸中が思いやられたが、現場の様子はSNSなどで発信され、私たちは自衛隊が普段の訓練で培っている実力を改めて知ることができた。

 現在、九州全域の自衛隊のみならず、中部方面、東部方面、そして北海道からも投入され、懸命な活動が続けられている。本来は自治体の所要に応じる自衛隊であるが、これまでの経験で得たノウハウの提案も求められるようになった。

 さらなる連携強化には、平素から自衛官OBが自治体に危機管理監や防災監として所属することが望まれる。都道府県には浸透してきたが、市町村では十分でない。配置されても首長に直接アドバイスできる立場でないと意味がない。

 災害時の速やかな活動につなげるためにも、ますます充実させることを望みたい。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 

 防衛問題研究家。1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストとして防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛官の心意気』(PHP研究所)、監修に『自衛官が語る海外活動の記録』(並木書房)など。

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