大阪女児誘拐事件 被害者をネットで非難する卑屈な人々

 「女児が保護された直後、容疑者の家に茨城県出身の女子中学生がいたことも判明しています。家族が捜索願を出していましたが、家出が発端であり本人が"見つからないように隠れていて監禁ではなかった"とも話しているから、男はむしろ被害者ではないのか、という間違った意見が飛び交う恐れもあります」

 この懸念は現実になり、容疑者を擁護する意見だけでなく、被害女児を貶めるような意見さえネット上に現れ始めた。確かに女児は、実年齢では利用出来ないからと年齢を偽って登録したSNSを使って被疑者と連絡を取っていた。この点については、監護の義務がある母親は猛省するしかない。それでもだ。この件を以ってしても、容疑者ではなく被害者が悪かった、という風にはなるのは歪んでいるとしか言えない。

 この嫌な主張が目に入った時、思い出されたのは未成年がらみの「援助交際」事件が発生した時の反応だ。なぜか必ず“買った”男性だけが逮捕されることに不満を抱く人たちが出現する。彼らの理屈は、買った側も悪いが、そもそも売る側がいなければ買うこともできないだろう、といった責任転嫁に一貫している。今回の女児不明事件で容疑者ではなく被害者を責める理屈は、援助交際について、搾取されている子供に責任を負わせる卑怯な屁理屈と全く同様のものだろう。

 ここでいま一度、大人として責任の所在がどこにあるのか、改めて考えてみたい。援助交際の例ならば、売る側がいたとしても、未成年を“買え”ばそれは子供を対象にした人身売買に加担したことになり、犯罪であることは明らか。法律で手厚く守られて当然の未成年に対して落ち度を声高に指摘することのほうが非常識で、歪んでいる。百歩譲って「未成年の女に騙された」というような悪意ある事例もあるかもしれない。それでも、まともでない誘いに乗る大人が罰せられるのは当然で、危機を回避できなかった、怪しいとは思いながらも欲望に負けてしまった自分を恨むしかない。

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