京アニ放火 石田敦志さんの父親会見詳報(下)「誇りを持って頑張っていた人を忘れないで」

 《アニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオで発生した放火殺人事件の犠牲者として身元が公表された石田敦志さん(31)=京都府宇治市=の父、基志(もとし)さん(66)の会見は、予定時間の20分が経過。京都府警の担当者が「予定時間を過ぎましたが、質問をまださせていただいていいですか」と問うと、基志さんは「いいですよ」と答えた》

 --非常に聞きづらいことですが、京都府警から敦志さんが亡くなられたことを聞かれたときのことを教えてください

 「敦志の死については(事件があった)7月18日当日に。今でも実感としてはないのですが、そういうことなんだなと頭では理解しました。福岡から事件報道直後に車で走ってきまして、こちらに20時ごろ着きました。その間、京都アニメーションと情報交換していましたが、京都アニメーションさんも混乱していて、一体どのくらいの被害が出ているのか電話では聞くことができませんでした」

 「京アニさんが準備された控室に行くと、けがをされたり救出されたりした方、全ての方の名前が判明していました。夜の20時で行方がわからないということがどういうことか、そのときに頭では分かりました。次の日、遺体の特定のため私のDNAを提出し、照合に数日かかるという話でしたのでいったん福岡に帰りました。そして24日でしたか、捜査本部から電話をいただきまして、残念ながらDNA型が一致したということを聞きました。しかし、正直なところいまだに実感はなく、受け止め切れていないです」

 「家に遺影を遺骨とともに飾ってありますが、それを見ても、はにかんだいつもの敦志の笑顔が、この世に今いないんだと、どうしても飲み込めない。いまだに本当なのだろうか、というのが正直な気持ちです」

 「なぜ遺影に、はにかんだ笑顔の写真を選んだのか。(あこがれの先輩と写り)本当に彼らしい、本当はうれしくてたまらないのに、はにかんだ笑顔なんです。あれが敦志なんです。ここで(自分が)つぶれたらだめだなという思いになったのも事実です」

 --事件後、同僚から敦志さんの仕事ぶりや人柄についてどのようなお話がありましたか

 「私どもには非常に冷静沈着な息子というイメージでしたが、職場では非常にひょうきんだったそうです。特に京都アニメーションは、みんなで(作品を)作るという意識が強いですから、それぞれの意見が飛び交うわけですね、そうすると、ややもすればギスギスした雰囲気になるらしいのですが、それを和らげてくれたのが石田くんでしたと。そういった面があったのだなと。敦志も、みなさんからかわいがっていただいていたのだなと思いました」

 《質疑が終わり、基志さんが最後に思いを語った》

 私の今の心情としては、こういった事実はやはり認めないといけないのだろうなと。

 優秀な方々と志半ばで旅立ったわけですけども、きっと来世でお仲間と再会して、皆さんとともに夢をかなえてくれるんだろうなというふうに思いたいです。

 それともう一点だけよろしいですか。

 私もこういったみっともない姿を、いい年をした男が涙ながらにお話をさせていただくのは、そんなに格好良い話だとは思っていませんが、あえてこの場に出させていただきました。

 京都アニメーションのクリエーターの皆さんというのは、手前みそではありませんが、選ばれた方々なのです。そして、私の息子も含めて皆、希望と誇りを持って毎日仕事をしていたんだと思います。

 それぞれ名前をお持ちだと思うんです、私どもの息子も石田敦志という名前を持っています。それがいわゆる35分の1で、果たして本人たちはいいのかなと。

 これは他の方々への批判ではないです。私の偽らざる思いから言わせていただいています。決して35分の1ではない。まだ大けがをされている方々もいらっしゃいます。みんな誇りを持って個々のクリエーターとしてちゃんと名前があって、毎日頑張っていたんですね。そういった人たちにわれわれ残った者ができることはやはり、そこでそうやって頑張ってたんだということを、多くの人に記憶していただく、覚えていただく。忘れないでください、と言うことしかできないと思うんですね。

 そういった思いから、かなり自分としてはしんどい時期ですが、あえてこういう場に出させていただいた。

 もう一つ、私が日頃から、言っていることがあります。人は一度は誰でも旅立たないといけないんですね。人との別れは本当に辛いものです。どういった別れであっても人との別れは辛いと思います。

 何が一番辛いというのは、(亡くなる)順番が違うことです。順番が違うことは最も不幸なことです。

 今回、理不尽な被害に遭った皆さんの個々の名前を、あの京都の伏見、宇治で頑張っていたんだ、ということを長く残してほしいんですね。

 私にとっても私の家族にとっても、京都というのは非常に好きな所です。京都アニメーションさんと付き合いのある前から家族旅行などでよく来ていました。

 敦志が京都アニメーションさんにお世話になるようになり、伏見、宇治というのは特別な所です。

 今は悲惨な場所になってしまったんですね。私ども家族が宇治、伏見に行けば敦志の名前が見られる慰霊碑のようなものに残していただければと願っています。

 (遺族には)名前を出さないでくださいという方々がたくさんいらっしゃる。その気持ちも痛いほど分かります。

 これは他の家族にそうしてくださいというのではありません。私ども家族は「ここは頑張りたいな」と話し合っています。われわれが頑張るんだと。いろんなバッシングがあるかもしれませんが、あえてそれはわれわれが頑張ろうと。

 それでも石田敦志の名前を出したい、それが私どもの一番の思いであります。

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