「赤い鳥」を変えたドラマー、村上“ポンタ”秀一

【村井邦彦が語るアルファレコードの伝説】

 1970年代の音楽シーンに松任谷由実やYMOを送り出し、その名を刻む「アルファレコード」。創立者であり作曲家で音楽プロデューサーの村井邦彦(76)が数々の伝説を語った。

 「僕より若いのでびっくりしました。音楽一筋の人でね…」と振り返るのは先日、70歳で急逝したドラマー、村上“ポンタ”秀一さんのこと。

 村井の古希(70歳)を記念して2015年に開催された「ALFA MUSIC LIVE」での共演が、村上さんと会った最後となった。

 「ポンタ君は、5人組だった『赤い鳥』に、ギターの大村憲司君(故人)とともに加わってもらってね。フォーク寄りのグループにロック的なものを持ち込んでもらい音楽の幅が広がったね」

 村井が1969年に設立したばかりの音楽出版社「アルファミュージック」と契約したのが、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリ(2位はオフコースだった)を取った赤い鳥だった。

 「当時の赤い鳥は、後藤悦治郎君(現紙ふうせん)がフォークを広めるのがライフワークで、『竹田の子守歌』なんかをやっていた。それだけでは物足りなくて、ポンタ君を連れてきたの」

 村井の思惑通り、新たに加わった血が、赤い鳥を変えていった。

 「ポンタ君が(山本)潤子さんに『あなたには恋愛が足りない』『もっと恋をしろ』なんて言ったもんだから、潤子さんが『急に恋をしろって言われても…』と困ったりしてね、フフフ」と思わず笑いがこぼれる。

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