作曲家、編曲家・佐伯亮 “缶詰め”中の旅館に友人を招いて飲み会

【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】

 1961年、佐伯亮さんは日本コロムビアの専属作曲家になった。62年には美空ひばり『恋の曼珠沙華』で第4回日本レコード大賞の編曲賞を受賞。

 64年『柔』の編曲は和太鼓、尺八、掛け声の合いの手、純和風楽器総出演の豪華な編成だった。この曲で第7回日本レコード大賞を受賞。若手編曲家としては華々しいデビューであった。

 66年『悲しい酒』はイントロから歌の1番は生ギターソロ、間奏は弦とせりふ、2番は生ギターと弦、3番にマンドリンが参加。まるで映画のシーンのような編曲構成である。美空ひばりの歌唱があって成立する技だ。

 その後、演歌歌謡ではこの構成をまねたものが多く出たが、完成度からみれば後にも先にもない見事な編曲である。

 学生時代は明治大マンドリン倶楽部(創設者は古賀政男さん)に所属、古賀さんに師事した。

 72年にはぴんからトリオの『女のみち』が400万の空前のヒット曲となり、編曲の依頼が殺到した。

 佐伯さんは編曲家では珍しく馬場良のペンネームを持つ。専属作家の縛りがあったので当時の売れっ子作詞・作曲家はペンネームで仕事をしていたものだ。競馬好きの佐伯さんは「今日の馬場は良し」からペンネームは馬場良になった。

 80年、中山大三郎さんから中野新橋の居酒屋で紹介されたのがご縁だった。佐伯さんは中野区出身で、住まいが私の家とも近いということから、それ以降、中野新橋のなじみのスナックによく誘っていただいた。

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ