作曲家の筒美京平さん死去「また逢う日まで」「サザエさん」昭和歌謡黄金期支える

 「また逢う日まで」「魅せられて」「サザエさん」など、日本中で親しまれる数々の名曲を手がけ、昭和の歌謡曲黄金期を支えた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名・渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが7日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。80歳。葬儀は近親者で行った。喪主は妻、善子(よしこ)さん。

 昭和15年、東京都生まれ。大学卒業後、大手レコード会社の日本グラモフォンで勤務。そのかたわら、作曲家のすぎやまこういちさんに師事して作曲や編曲を学び、作曲家としてデビューした。

 グループサウンズ(GS)のバンド、ヴィレッジ・シンガーズに提供した「バラ色の雲」(42年)がヒット。その後も人気曲を連発し、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、南沙織さんの「17才」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」など現在まで親しまれる作品を生み出した。

 洋楽を基調にした洗練されたメロディーは高く評価され、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」は日本レコード大賞に輝いた。

 手がけた作品数は3千曲ともいわれる。郷ひろみさんの「男の子女の子」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」、少年隊の「仮面舞踏会」などアイドルの楽曲も多く、いずれも大ヒットした。「サザエさん」など、小さな子供にも親しまれるアニメ主題歌も手掛け、その音楽ジャンルの幅広さでも知られた。

 21世紀に入っても、アイドルグループ、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」(平成15年)がヒットチャートの1位になるなど存在感を示し、同年に紫綬褒章を受章した。

 表舞台に出ることを好まず、メディアにはめったに登場しなかった。希代のヒットメーカーの素顔を知る人は少なく、生涯、職業作曲家の立場を貫いた。近年はパーキンソン病を患っていたという。

 編曲家、船山基紀(ふなやま・もとき)さんの話「日本の音楽界にとって、大きな方を失った。新しいものを真っ先に取り入れ、人の心をつかむメロディーやサウンドを生み出していた。輸入盤のレコードを独自にいち早く入手して聴いて勉強して、常に最先端を走っていた。(欧米で)ファンクやユーロビートがはやれば、それをヒントにして京平メロディーが生まれていた。全てヒット曲だった」

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