元GSの貴公子・真木ひでと 演歌歌手転身から45年…“失神ボイス”不滅です

 【ぴいぷる】

 多くの女性を“失神”させた甘い歌声は今も健在だ。グループサウンズ(GS)の人気バンド「オックス」のボーカルとして一世を風靡(ふうび)。解散後、演歌歌手に転身して、今年で45年がたつ。

 「実は今、ちょっと声がきれいになりすぎているんですよね。今年に入ってから新型コロナウイルスの影響でまったく歌っていないので。ライブが再開できると決まったら、そこへ向けて声帯のコンディションを整えていきたいんですけどね」

 取材に応じるたたずまいは温和な紳士といったところだが、GS時代は楽器を壊したり、アンプを倒したり、過激なパフォーマンスを繰り広げていた。

 「オックスはGSの中では後発だったので、『他がやっていないことをやろう』というのがテーマでした。ロングブーツを履いたり、茶髪に染めたりしたのも、その表れです」

 その狙いは的中し、たちまち人気に火が付いた。ライブを開催すれば若い女性ファンが殺到。「ザ・タイガース」や「ザ・テンプターズ」と並んで「GS御三家」と称され、演奏中にメンバーや観客が次々と倒れることから「失神バンド」と社会現象を巻き起こした。

 「数曲歌うと失神する人が出てライブは中断という状態でした。何とか防げないかと考えて、オリジナル曲の間に童謡を歌うなんてこともありましたね。あれは嫌だった。そうこうしているうちにたたかれるようになって、会場も借りられなくなっていきました」

 GSブームの終焉(しゅうえん)とともにオックスは71年に解散したが、「活動の期間はたった3年間。でも10年以上はやったと思えるほど濃密なものでした」と振り返る。50年を超えるキャリアで、GSでの経験が原動力だ。

 解散後はポップス歌手になるも伸び悩んだ。そこで心機一転。演歌歌手を目指して伝説のオーディション番組「全日本歌謡選手権」(日本テレビ系)に挑戦する。

 「ジュリー(沢田研二)はポップスのキング、ショーケン(萩原健一)は俳優で活躍していて、僕だけが落ち込んでいた。歌を続ける自信も失っていました」

 あるいは2人へのライバル心が背中を押したのかもしれない。

 「これでダメなら引退」と心に決め、周囲の反対を押し切ってチャレンジ。見事10週勝ち抜いて、75年に演歌歌手として再起を果たした。

 「出場したときの音源がテープで残っていて、今でも聞くんです。歌とは不思議なもので、慣れてきてうまく歌おうとすると壁にぶつかるんですが、このテープを聞くと基本に戻れる。うまくはないけど必死で歌う自分の熱意が分かるんですね。番組で審査員をしていた先生方も、僕の熱意がどこまで続くのかを見ていたそうです」

 以来45年、さまざまなジャンルの楽曲を歌い上げてきたことで、レパートリーはロック、歌謡曲、演歌、シャンソンとなんでもござれだ。

 その多彩ぶりは、先月にリリースした5枚組のCDボックス「陶酔・心酔・ひでと節!」(ソニー)でも分かる。キャリアの集大成として歴代の代表曲やカバー曲、新録音の「淡雪の宿」「ごめんよ」など全111曲を詰め込んだ。

 「『淡雪の宿』と『ごめんよ』は数年前に録音した曲。それまで僕は30年近く新曲を出してこなかったんです」

 その理由を、次のように明かす。

 「自分とスタッフ、レコード会社さんと全員が一体になれないなら出したくないし、売れずに迷惑がかかるのも嫌ですしね。新曲を出さないとテレビやラジオに出演できないと考える歌手もいるでしょうが、僕はまったく平気。新曲を出さないことで呼ばれないのなら、それでいいというスタンスなんです」

 なぜそう割り切ったのか。

 「自分をレコード歌手だとは思っていないんですね。ライブをやってなんぼの歌手だと。曲を聞くだけで真木ひでとを判断するのではなく、ステージで歌っている姿を見てほしいってね」

 11月で古希を迎えるが、熱いステージへの意欲は衰え知らずだ。昭和の日本を熱狂させたGS魂の底力を感じた。(ペン・磯西賢 カメラ・三尾郁恵)

 ■真木ひでと(まき・ひでと) 歌手。1950年11月27日生まれ、69歳。福岡県出身。68年に「オックス」のボーカルとして「ガール・フレンド」でデビュー。「スワンの涙」「僕は燃えてる」など次々とヒット曲を飛ばす。71年にオックスが解散してからはソロで活動。75年に恩師である作詞家・直木賞作家の山口洋子さん(2014年死去)の命名で野口ひでとから真木ひでとに改名し、「夢よもういちど」で演歌デビュー。以降の代表曲に「恋におぼれて」「雨の東京」「元気の星」など。

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