中森明菜、主演ドラマ途中降板でバッシングに拍車も… 「私には何とかしてくれる人がいる」

 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 中森明菜が迷走し始めたのは1982年のデビューから所属してきた芸能事務所「研音」を独立した89年からだ。

 「レコード会社の移籍や個人事務所の設立などでトラブルが次々に起こったんです。周辺ではさまざまな人間が蠢(うごめ)き、スキャンダルに巻き込まれ、生意気、わがまま、自分勝手…と明菜を批判する記事が週刊誌で報じられた。明菜自身は人間関係に疲れ、いつしか人間不信に陥っていたのかもしれません。性格的にも繊細過ぎましたから」(明菜を知る放送関係者)

 確かに事務所の移籍料問題や、女性週刊誌には許可していない水着写真の掲載をめぐる2億円の損害賠償裁判(90年)。さらに担当マネジャーが大麻取締法違反容疑で調べを受け、明菜の自宅に家宅捜索(93年)が入ったことも。

 写真集の出版でも信頼していた制作会社の女性社長から契約不履行で9300万円もの損害賠償請求訴訟を起こされ、さらにその社長が暴露本「中森明菜 哀しい性」を出版する(94年)という前代未聞のスキャンダルまであった。

 「この頃は波瀾(はらん)万丈、紆余(うよ)曲折でした。おそらくもっとも屈折していた時代かもしれません」(芸能記者)

 ここまでスキャンダラスなイメージがついたにもかかわらず不思議とファンは減らなかった。当時、芸能リポーターとして第一線で活躍していた梨元勝氏(故人)も「歌はうまい。その繊細な感覚は女優としても十分活躍できる。ディナーショーもなかなかだ」と絶賛していた。

 「トップアイドルでしたし、“歌姫”の名をほしいままにしてきましたからね。もっともトップを維持できたのは所属事務所やレコード会社に守られてきたから。1人になり、何事も自分で判断し、行動しなくてはならなくなった中で、孤独感もあったのかもしれませんが、無防備な部分もあったのでしょうね。とにかく周りには怪しい人物が近づいてきた」(芸能関係者)

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