前代未聞!所属レコード会社から告げられた“絶縁” トラブルの責任を社長が放棄

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 「彼女は、この業界に置いてはいけないアーティスト」

 20年前の1999年11月12日。この一言が芸能界に波紋を広げた。この発言の「彼女」とは日本の歌謡界で“歌姫”と呼ばれてきた歌手の中森明菜。発言の主は当時、明菜が所属していたレコード会社「ガウスエンタテインメント」の社長だ。

 「記者会見で記者や芸能リポーターの前で何もためらいもなく突然に言い放ったわけですから当然、大騒ぎでしたよ」

 会見を取材した記者はそう振り返るも「芸能事務所やレコード会社は、どんなことがあっても所属アーティストを守り抜くのが本来の姿だと思うのですが、会見は真逆でした。理由はともかくレコード会社の社長が所属アーティスト、それも中森明菜を名指しで…。しかもメディアの前で“業界から消えろ”なんて前代未聞でした」。

 ガウスは97年にカラオケの最大手「第一興商」が明菜のために設立した新興レコード会社だ。社長は第一興商の制作本部長を兼務する形で就任し、明菜とは98年1月に契約を交わした。

 「トラブル・メーカーだった明菜をコントロールすること自体、至難の業といわれていた。それでも契約を結んだのは、ビジネスとして大きな魅力があったから。ただ改めて思うのは、やはりカラオケ会社が手を出すようなアーティストではなかったということ」とプロダクション関係者。

 ガウスとはわずか2年で“絶縁”となった。しかし、その間にシングル5枚とアルバム2枚を発売してきた。

 「宣伝担当者はCDを出しても明菜が宣伝に協力してくれないと嘆いていました。ただそれはプロモーション力のなさゆえの言い訳に過ぎない。アルバムを出しても5万枚前後と、当初考えていたほどのセールスが見込めなかったことに不満が爆発し、責任のすべてを明菜に押し付けたとしか思えません。確かに明菜周辺でトラブルが絶えなかったことも要因にありました。セールスも思わしくない上に面倒な事件も多ければ親会社からも責められますからね。結局、社長自身が責任放棄したということでしょう」(週刊誌記者)

 そのトラブルのひとつが、ファンクラブが企画したバースデー・コンサート中止によるチケットの払い戻し騒動だ。

 「発端は98年末に明菜のファンクラブが99年7月にバースデー・コンサートを企画し、1枚7500円で販売したことでした。企画は明菜がマネジメントを依頼していた会社でしたが、明菜にはまったく知らされておらず、コンサートが中止されたのです。そしてチケットも払い戻しされず大騒ぎになりました。中には明菜を訴えると激怒するファンもいたほどでした」(芸能関係者)

 明菜には思ってもない事態に違いない。だが「無断で引き起こされたこと」とはいえ、明菜の名前で起きたことは事実。「責任の一端は自分にもある。このままファンに迷惑はかけられない」(明菜に近い芸能関係者)と販売したチケット約1600人分、総額で約2400万円を「明菜が肩代わりして返金する」ことでファンには納得してもらい、99年12月10日までにすべての返金を終了した。

 しかし、ガウスの社長は「これ以上、ファンやメーカーに犠牲者を増やしてはいけない」と“追放”を言い渡し、その年の12月末日で専属契約を解除したのだ。(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年7月11日、16歳の誕生日直前に出場した日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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