「グランプリ女優」京マチ子さんが死去、95歳 親友の石井ふく子さんら看取った

 映画「羅生門」「雨月物語」などに主演し、元祖国際派女優として活躍した女優、京マチ子(きょう・まちこ、本名・矢野元子=やの・もとこ)さんが12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。14日に東宝が発表した。生前の本人の遺志により、14日に密葬で執り行われた。看取った親友のテレビプロデューサーで演出家、石井ふく子さん(92)によると、数年前に京さん自身が購入していた米ハワイの墓に納骨される。

 大正13年に生まれ、昭和、平成を生き抜いた名女優が、令和の訪れとともに逝った。

 関係者によると、京さんは足腰が弱ったこともあり、2018年夏頃から病院が併設された東京都内のケアハウスに入居していた。石井さんが11日夜、見舞いに訪れた際、話しかけても反応がなく心配したが、手を握ると握り返し、ほほえんだという。

 翌朝、病院から京さんの様子がおかしいと連絡を受け、石井さんが駆けつけたときにはすでに息が浅く、そのまま眠るように天国へ旅立った。京さんは生涯独身を貫いており、友人ら数人に看取られての臨終だった。

 4月1日に石井さんが訪れたときには「心臓が苦しい」と漏らし、以前から「何かあったら、ふく子さんお願いね」と託されていた。

 14日に東京・桐ヶ谷斎場で密葬が執り行われ、荼毘(だび)に付された後、東宝によって発表された。参列者はごく親しい6人のみだった。本人の遺志通り、数年前に大好きだったハワイへ赴き、自ら手配した墓に埋葬される。現時点でお別れの会の予定はない。

 3歳のときに父親が蒸発し、母親に女手一つで育てられた京さんは、12歳だった1936年に大阪松竹少女歌劇団に入団。体の柔らかさを武器にレオタード姿でステージを所狭しと躍動し、抜群の踊り手として活躍した。

 49年に映画会社の大映に引き抜かれ、故宇野重吉さんと共演した「痴人の愛」に出演。160センチと当時としては長身で豊満な肢体、はっきりとした目鼻立ちで自由奔放な女性を妖艶に演じ、官能的な肉体派女優として一躍注目を集めた。

 後輩の若尾文子(85)、山本富士子(87)とともに大映の看板女優として活躍。ベネチア国際映画祭で黒澤明監督の「羅生門」、カンヌ国際映画祭で衣笠貞之助監督の「地獄門」と、出演作が海外の映画祭で相次いで最高賞を受賞し、「グランプリ女優」と呼ばれた。ハリウッド映画「八月十五夜の茶屋」では故マーロン・ブランドさんと共演。日本初の国際派女優でもあった。

 71年に大映が倒産した後は舞台やテレビなどに活躍の場を広げ、TBS系「犬神家の一族」やテレビ朝日系「必殺シリーズ」などに出演。東宝配給の映画「華麗なる一族」では、佐分利信さん扮する万俵家当主の愛人役で女の業の深さを演じきり、話題となった。

 ただ、熱狂的なファンが京さん宅で自殺を図ったことや「硫酸をぶっかける」と脅されたこともあった。いつまでも若々しいことで知られ、晩年まで美意識が高かった。友人と外食に出掛ける際には大きなサングラスに品の良い服をまとい、上品なたたずまいは平成に時代が変わろうと昭和の大女優そのものだった。

■京 マチ子(きょう・まちこ)

 本名・矢野元子(やの・もとこ)。1924(大正13)年3月25日生まれ。大阪市出身。小学校を卒業後、大阪松竹歌劇団を経て49年、大映に入社。同年、安田公義監督「最後に笑う男」でデビュー。同年の映画「痴人の愛」で肉体派女優として人気に。50年の映画「羅生門」がベネチア国際映画祭金獅子賞、53年の「地獄門」がカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、「グランプリ女優」と呼ばれた。71年以降はドラマや舞台でも活躍し、代表作は映画「雨月物語」、ドラマ「犬神家の一族」「必殺シリーズ」など多数。87年に紫綬褒章、94年に勲四等宝冠章を受章した。

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