気にくわない担任教師と連日大げんか… 結局転校に

 初めてのバンド「ポテトズ」を結成し、バスケット部の活動も楽しく、充実した高校生活でしたが、高1の担任がなかなかの問題教師だったのです。

 彼はお気に入りの女生徒を数人ピックアップして、常に職員室にはべらせてテストの採点までさせていました。私は例によって気にくわない教師には徹底的に反抗しないと気が済まないくせが出て、連日、その教師と大げんかです。

 揚げ句にその担任が私の親に「転校させないと退学にする」と脅しの手紙を個人的に送りました。確かに私は中3で停学にはなりましたが、その教師に退学にさせられる理由なんぞありません。ですが、親にしてみたら中3の前歴があった上での担任からの直々の手紙ですから、そりゃあ心配になります。

 結局、帰国して東京に住んでいた両親と暮らすことになり、都立大付属高校への編入が決まりました。好きだった子もいましたから、バンドも淡い恋も全部これで終わりかぁ、と思いながら過ごした高知での残りの日々は、今思い出しても少し切ないですね。

 その後「ポテトズ」は新たに同級生のキーボード、ギター、ベースが加入し、M君はボーカルに専念して存続しました。その時のキーボードが後になって「ファイナル・ファンタジー」の音楽で世界的に有名になる植松伸夫です。

 大人になって彼から聞いた話では、転校の際、私の持っていたレコードの一掃セールで、彼に「スレイド」を売ると言いながら、結局彼が欲しくもなかった「ユーライア・ヒープ」を売りつけたそうです(笑)。

 というわけで、高校2年生から東京の都立大付属高校に通うことになったのですが、始業式の日に登校してみると、今度は高知とは別の意味でびっくりです。私服とは聞いていましたが、服装も髪形も本当になんでもあり。しかも屋上には生徒用の灰皿が置いてある!

 当時の都高(略称)は偏差値はまあまあ高かったのですが、都立高校の中でも相当自由度が高かったようで、高知に転校した時とは真逆で「丸刈りの田舎者が転校してきたらしいぞ」という状態です。

 始業式を終えて校門に向かっていると、同じ敷地内にあった都立大学からバンドの演奏が聞こえてきました。私は勝手に大学の校舎に入っていき、ある教室で大学生たちが演奏しているのを見つけました。そこで演奏に混ぜてもらい、そのままバンドに入ることになりました。彼らは大学のフォーク研究会に所属していて、なんと私もそのサークル初の高校生部員として所属させてもらえることになったのです。 (夕刊フジに連載中)

 ■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。79年のデビュー当初からCMやアーティストの音楽制作に携わる。TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」で作曲家として注目される。主な代表曲は「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)、「負けないで」(ZARD)、「夢見る少女じゃいられない」(相川七瀬)など。自らも「いつまでも変わらぬ愛を」がミリオンセラーとなる。

 現在「オダテツ3分トーキング」をYouTubeで配信中(毎週土曜日更新)。

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