技術論より「歌の世界」に入る人だった三木たかしさん

【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】

 ポップスから歌謡、演歌、アニメソングまで幅広く手がける二刀流以上の作曲家だ。

 1977年、作詞の阿久悠さんとのコンビによる石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』が大ヒット。上野から北海道に帰る女心を歌う歌に、見たことのない青森の駅を妄想した僕は、その世界に浸ろうと、ある年の1月の終わりに1人で上野駅から青森の弘前まで行ってしまった。弘前駅に着いたのは午後8時。粉雪が舞い散る中、僕は桶屋町という飲み屋街に入った。ここまで自分が動かされた歌だった。

 当時のオーディションでは、この曲を選ぶ若者が多かった。平成の世でも若い女性に歌われた生命力のある歌である。

 78年にある女性歌手のセカンドシングルで仕事をした。初恋の女の子のやりきれない気持ちを歌ったものだ。三木さんの歌入れデモテープは切なくて泣きそうになってしまうほど。レコーディングでは直々にアドバイスをもらった。優しい話し方でいいところを褒めながら、歌詞の中身を想像させ、役になりきれる気持ちにさせる。譜面的な技術論より、歌の世界に入りきるまで何度も丁寧に話すのには驚いた。

 音楽ディレクターは大したテクニックもないのに上から目線の人が多い。プロ野球でプロ経験のない人が監督をやることはない。しかし当時の音楽ディレクターは文芸的な人が多かったのだ。

 この仕事で、A面は三木さんの曲を会議で押したが却下された。僕は強く抵抗したため担当を降ろされた。それを伝えると「ありがとう、ありがとう」と。それ以上お互いに言葉にならなかった。40年たった今も忘れられない。

 三木さんは幼い頃から紙で書いた鍵盤を弾いて遊ぶ子だった。中学生で歌手を目指し、船村徹さんに弟子入りしたが、作曲家のほうが向いていると言われて断念。後年、船村さんに付き添うのをみて、演歌の巨匠との間柄が不思議だったが、師弟関係だったのだ。

 1967年、泉アキの『恋はハートで』でデビュー。68年、実妹の黛ジュンの『夕月』がヒットすると、翌年には森山良子の『禁じられた恋』が8週連続1位の大ヒットし売れっ子に。テレサ・テンの一連のヒット曲も今も生きづいている。

 ■三木たかし(みき・たかし) 1945年1月12日生まれ、東京都出身。1964年に作曲家デビュー。テレサ・テンの楽曲などが大ヒット。2005年、紫綬褒章を受章。09年、64歳で死去。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問。50年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイスらを手がけた。徳間ではPerfumeらを担当。2017年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、現職。

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