「音楽」で振り返る平成 CDからネット視聴に 曲作りも変化

 平成という時代も、さまざまなヒット曲で彩られた。その規模も、CD100万枚以上など「バブル」の時代らしく、かつてないほどにふくれあがった。だが、そこにデジタル化の大波が押し寄せると、様相は一気に変わった。愛され、大量消費され、そして翻弄された平成のヒット曲の歴史を振り返る。

 平成の大ヒット曲1号は、プリンセス・プリンセス「Diamonds」だった。国内のレコード各社で構成する一般社団法人「日本レコード協会」によると、元年4月発売の同曲は翌2年8月に工場出荷枚数100万枚を突破。平成で最初に100万枚以上を出荷したシングルとなった。その後も大ヒット曲が相次いだのが平成の最初の10年間だった。同協会は、「昭和57年に商品化されたCDが、再生機の普及などを背景に一気に広まったのではないか」と話す。

 当時、テレビの歌番組やカラオケも人気で、音楽は娯楽の中心にいた。テレビドラマも高視聴率で主題歌が続々ヒットしたし、CMソングも人気を博した。長戸大幸(ながと・だいこう)さん、小室哲哉さんといった「プロデューサー」が腕をふるってZARDや安室奈美恵さんら人気歌手を世に出したのも同じ頃だった。

 シングル、アルバムを合わせたCDなど音楽商品の年間の生産額(卸売額)は元年からずっと右肩上がりで10年には6075億円と国内最高額を記録した。

 11年には宇多田ヒカルさんの「First Love」が、800万枚以上というアルバムでは国内最多の出荷枚数を記録。シングル「だんご3兄弟」が300万枚以上を記録したのも同じ年だった。

 15年にはSMAPの「世界に一つだけの花」がヒット。同年だけで200万枚、28年には出荷300万枚を突破し、一般社団法人日本音楽著作権協会によれば平成でもっとも著作権者への還元が多かった。これは、聴かれたり、歌われたりする機会が最多だったことを意味する。

 だが、11年から年間生産額は減少の一途をたどった。21年には10年のほぼ半分にまで落ち込んでしまった。平成の中盤以降、インターネットや携帯電話の普及で娯楽全般が多様化。ゲームなど人気を分け合うライバルがぐっと増えた。また、デジタル化は、音楽商品が流通する上で、CDなどの「入れ物」を不要にした。だから、CDの生産金額は下げ止まらなかった。30年は元年の6割になった。

 27年に日本でサービスが本格的に始まった「定額制聴き放題」は、サービスの利用料を支払えば、インターネット上に収納されている無数のヒット曲を好きなだけ聴ける。個々の曲を購入する必要はないのだ。

 音楽ジャーナリストの柴那典(とものり)さんは、このサービスがヒット曲の作り方そのものを変えつつあると指摘する。「出だしで聴き手の心をつかまないと、次の曲に飛ばされてしまう。そこで、イントロを省いていきなり印象的な歌詞で始まる歌が増えた」。米津玄師(よねづけんし)さんの「Lemon」などを例に挙げる。2月に千葉市で開かれた見本市「ライブ・エンタメEXPO」の講演で語った。

 世は歌につれ。多くのヒット曲で彩られた平成は、CDという音楽の「入れ物」の栄枯盛衰の時代でもあった。そして歌は世につれ。次の時代「令和」に向かって、歌は、その形そのものが変わろうとしている。

 ■コンサートは右肩上がり

 コンサートの事業者らで構成する一般社団法人「コンサートプロモーターズ協会」によると、平成30年の国内の音楽公演の売り上げは3448億円で、8年の集計開始以来最高を記録した。公演数は3万1482回。これは元年(昭和64年を含む)の約3・5倍。入場者数は4862万人で、こちらも元年(同)の約3・2倍。平成に入ってコンサート市場は成長し続けた。

 同協会は、「インターネットの普及と体験型消費需要の高まり」を主な要因に挙げる。ネットは、公演情報の取得やチケットの購入を容易にし、SNS(会員制交流サイト)による口コミは絶大な宣伝効果を発揮するという。

 また、東京ドーム(昭和63年)、横浜アリーナ(平成元年)など大型会場が相次ぎ開業し、「平成は大規模公演が可能になったことも大きい」(同協会)という。

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