平成回顧「テレビ」(上)災害報道は「命を救う」防災へ意識をシフト

 昭和に放送を開始したテレビは、平成時代も社会や家庭に大きな存在感を与えてきた。その中で、平成7年の阪神淡路大震災、23年の東日本大震災という2つの大きな震災をはじめ、その他の多くの災害を伝えてきた災害報道、そして、多くのヒット作を生んできたドラマを中心に、平成時代のテレビを振り返る。(兼松康)

 災害報道に力を入れるNHKでは、幾度となく起きる災害で得た知見や反省を次に生かし、そのあり方を進化させてきた。

 阪神大震災発生直後のテレビ画面では、後に震度7と発表された神戸市の震度が空白のままだった。当時の気象庁では震度7以上は建物の倒壊率などを調べた上で適用する仕組みだった。

 しかし、発生直後に震度が不明では対応の遅れにつながるという反省点も浮上。NHKでは地震発生ですぐに震度を速報できるよう、同震災後に、気象庁と同じ震度計を各放送局に取り付け、一定の震度を超えたら、いち早く速報できる体制を取った。

 NHK報道局災害・気象センターの橋爪尚泰センター長は、「地震は報道によって逃げる余裕を与えられない。震度をいかに早く伝え、最も被害が大きいのはどこか突き止める必要がある」と、理由を説明する。

 ■被災者取材のあり方も

 被災者取材におけるメディアスクラムの問題が起きたのもこの頃だ。同時に「被害者に寄り添う」という考え方も出てきた。

 阪神大震災では、ヘリコプター取材による騒音問題も生まれた。

 阪神高速の倒壊を空撮するなど、災害の初動取材ではヘリコプターの持つ機動力が大きな意味を持つが、被災者から「報道のヘリがうるさい」との批判も巻き起こった。NHKではこうした声を受け、自衛隊などのヘリコプターによる救助を妨げないよう、望遠カメラでより高い位置から取材することにした。

 3年に起きた長崎県の雲仙・普賢岳の噴火では、NHKのカメラマンが被災、死亡した。この一件をきっかけにNHKは、技術面の進歩を生かして、危険な場所や各放送局にロボットカメラを導入した。現在、700台程度のロボットカメラが運用され、それぞれ72時間(3日)分の映像蓄積が可能だ。700台のほぼ全てを東京でコントロールでき、無人でもソーラーパネルで自律して電気を供給できるものもあるという。技術の進歩が災害報道に貢献している例だ。

 ■「すぐにげて」呼びかけ

 23年の東日本大震災で発生した津波災害で、NHKは津波到達までに「逃げてください」「海岸や河口付近には近づかないで」と21回も呼びかけた。この震災からNHKの災害報道は「報道で命そのものを救えないか」という意識に大きくシフトした。そのひとつが視聴者への呼びかけ方法だ。それ以前は視聴者に不安を持たせないために落ち着いたアナウンスだったが、強く、緊迫感のある口調にし、避難などを呼びかけるように変更された。

 NHKの映像が視聴者に“無用の安心”を与えた面もある。災害心理学で「目の前に危険が迫ってくるまで、その危険を認めようとしない人間の心理傾向」を「正常化の偏見」というが、太平洋側のロボットカメラによる海の映像は、津波が来る前の穏やかな海だったため、「正常化の偏見を後押しした」(橋爪氏)との反省点が浮上した。

 このことを踏まえ、東日本大震災後のNHKの災害報道では、局内で立ち上げた災害報道見直しのプロジェクトをもとに、穏やかな海の映像は小さく、予想される津波の高さや到達時刻の表示を大きくし、「すぐにげて」という子供にも読める文字を画面に出すなど、避難を直接呼びかけるような画面構成に変えることが決められた。

 記憶に新しい昨年7月の西日本豪雨でも、NHKは通常番組を飛ばし、特設ニュースなどで、繰り返し避難を呼びかけたが、それでも逃げなかった被害者がいたのも事実。視聴者が今以上に「自分に関わりがある」と思うような災害報道を目指している。その一環として公開されたスマホなど向けの「NHKニュース・防災アプリ」は、ダウンロード数が600万件を超えた。橋爪氏は「テレビの情報と合わせ、アプリなどで個別の情報を見てもらい、きちんと避難などに動いてもらう狙いで、仕組みづくりを進めている」と話している。

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