フジの“良心”須田哲夫アナ・現役最年長 今月いっぱいで卒業

 フジテレビの須田哲夫アナウンサーが今月31日付で48年間勤めた同局を離職することが29日、分かった。

 アナウンサーとして71歳まで現役で活躍したのは、同局アナウンス室において最年長の記録となる。今後も「アナウンサー・須田哲夫」として活動の意向を示した須田アナが“卒業”の心境を語った。

 「人に対する思いやり。えらそうな言い方をすれば、寛容な社会への希望。長くメディアの世界にいて、この年齢になって改めて思うことです」

 48年のアナウンサー生活で一番大切にしてきたことを問うと、柔和な表情でこう返した。

 1966年3月に都立雪谷高校、71年3月に慶大法学部を卒業後、同局へ入社。すぐに「3時のあなた」のサブ司会に。11年続けたあと「おはよう!ナイスデイ」を5年担当した。その間、「ホテルニュージャパン火災」(1982年2月)、翌日の「日本航空350便墜落事故」(同)、ロス疑惑(81~82年)、「日本航空123便墜落事故(85年8月)…多くの事件、事故を取材した。

 「御巣鷹のときは、最初場所が分からなくて太田英昭さん(当時ディレクター、現産経新聞社取締役相談役)から『東名高速に乗って西へ向かえ』と言われただけ。翌朝、ヘリコプターから生中継し、『生存者発見』のスクープ映像報告をした新入社員の山口(真さん、現コンテンツ事業局長)らを誘導した。僕は当時37歳。『発見』のニュースには、そこにいたかったという取材魂とホッとした思いと複雑な気持ちでしたね」

 まるで昨日のことのように鮮明な記憶をよみがえらせる。

 48年の会社生活で異動は一度だけ。報道局に所属し1995年から4年間ニューヨークへ赴任した。50歳前後で「いい経験をさせてもらった」というが、そこでも基本はやはり話すこと、伝えることだった。

 「テレビというのはライブが原点で醍醐味。そこには必ず批判も出る。最近ではコンプライアンスが重視されるようになり、批判を浴びると後退して時代の最先端ではいられなくなっている部分もあると感じている。批判を受けるのはメディアが生きている証拠。僕はやり過ぎがちょうどいいと思う。批判をどう受け止めるか、です」

 自身の見解をこのときだけは熱く語った。マスコミの在り方が問われる時代だが、現場主義だけはいつの時代も変わらないのだ。

 また、昔から新聞を読むことが大好きだという。

 「各紙の扱い方、どう載せるかがおもしろい。僕はこれまでに『ニュースの見方』という講座もやっていて『新聞の見方』としても話している。新聞がどのように書くかによって世論も喚起されると思っている。新聞から温度を感じたい。そういう考えをいろいろな方々に伝えていきたいですね」

 好奇心旺盛で「常に今やりたいことは何なのか」と自身に問いかける。「もちろん、ボーッとしたいときもあるけど、聞かれたらサーフィンとか答えちゃう。やったことないことをやりたいじゃないですか」と笑う。

 2008年から10年続いた「新報道2001」が昨年4月に終了するにあたり離職を決めたが、会社から「あと1年」と頼まれた。振り返ると、近くにいてくれたディレクターから「表現」、構成作家から「気づき」を教わったという長くて短かったアナウンサー生活。局内では須田アナのことを悪く言う人はいないフジテレビの“良心”ともいえる存在だった。

 人生100歳時代といわれるが、「まわりによく“100まで生きるよね”と言われる(笑)。入院もしたことないし、100まで生きたらどうしよう」とユーモアたっぷり。家では妻と2人の娘さんを持つ良き家庭人でもある。

 「今は達成感もないし、現役がこれで終わりなんだとも思わない。終わったと実感しなきゃだめかなあ」

 そう言って笑顔で締めくくったが、「アナウンサー・須田哲夫」の語りはまだまだ続きそうだ。

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