豊洲市場の吉野家が面白い 「時給1500円」に「超少ないメニュー数」

 「あ、吉野家の1号店だ」

 ここは豊洲市場(東京都江東区)内にある吉野家の豊洲市場店。店の前を通り過ぎた観光客らしき男性はこのようにつぶやいた。

 2018年10月11日の豊洲市場開場にあわせ、築地市場内で営業していた吉野家の1号店が移転してきた。移転から半年以上が経過しているが、客層やオペレーションでどんな違いがあるのだろうか。実は、同店は他の吉野家ではあまりみられないユニークな運営をしているのだ。

吉野家の豊洲市場店

吉野家の豊洲市場店

 吉野家1号店の歴史

 まず、吉野家の歴史と1号店の概要について解説しよう。

 吉野家が創業したのは1899年。当時、東京・日本橋では多くの職人たちが魚市場で働いていた。職人たちは多忙だったため、まともに食事をする時間をとることができなかった。また、大変な重労働だったことから、短い時間でお腹がいっぱいになる食事が求められていた。そこで、吉野家の創業者である松田栄吉氏は当時普及しつつあった「牛めし」に着目。出身地の大阪・吉野町にちなんで「吉野家」という屋号の牛丼店を開店した。

 1923年に発生した関東大震災の影響で、魚市場は築地に移転した。それに伴い、吉野家も築地に引っ越しをすることになった。当時、店内のカウンターの後ろをお客が2~3重に取り囲み、牛丼が提供される順番を待っていたほどの繁盛ぶりだったという。

 2代目として店を継いでいた松田瑞穂氏は、58年、株式会社吉野家を設立し、牛丼のチェーン化を推進しはじめる。メニューを牛丼単品に絞り込み、接客、調理、盛り付けなどを工夫した。吉野家の原型はこのときに形成されたという(参照元:吉野家公式Webサイト「牛丼100年ストーリー」)。

 「ミスター牛丼」も働いていた1号店

 アルバイト出身ながら1992年に吉野家の社長に就任し、「ミスター牛丼」とも呼ばれた安部修仁氏も築地の1号店で正社員として働いていたことがある。当時、安部氏は500人以上の常連(ほとんどが市場関係者)の顔といつも食べるメニューを記憶しており、お客が何もいわなくても「つゆだく」や「大盛」の牛丼を提供していたという。日本経済新聞社の取材に対し、安部氏は「たかだか客単価数百円のファストフード店が、お客さまの隅々まで気を配るサービスを実現していたのです」と語っている(関連記事:ミスター牛丼、原点はバイトの賄い飯 吉野家HD会長)。この考えは、現在も同社に受け継がれている。例えば、業務の効率化を推進する一方で、お客との接点を減らしたくないという方針から、吉野家では店舗に券売機を設置していない。

 築地の1号店は席数わずか15席、営業時間は午前5時~午後1時で、1日に1000人以上のお客が来店していたという。このように、築地の1号店というのは吉野家にとって特別な存在だったのだ。

豊洲市場店の店内

豊洲市場店の店内

 築地発のメニューも

 築地店だけで通用していた“特殊オーダー”もある。例えば、「アツシロ」「ツメシロ」という用語がある。ツメシロとは、冷ましたごはんの上に牛丼の具を盛り付けることを意味する。ごはんがアツアツだと食べるスピードが落ちてしまうので、急いで胃袋に流し込みたいお客に配慮したものだ。一方、アツシロは通常よりアツアツのごはんを提供する。

 築地で生まれたメニューが全国に展開された例もある。それは、ご飯の上にある牛丼の具「アタマ」の量を通常より増やした「アタマの大盛」だ。同様に、玉ねぎを多めにする「ネギダク」も築地生まれだ。

 丼も築地ならではの仕様になっていた。他店と違い、オレンジ色の柄の丼を使っていたという。

 豊洲市場店はどんな場所にあるのか

 それでは、築地市場から移転してきた豊洲市場店はどのような場所にあるのだろうか。実際に訪問してみた。

 豊洲市場はゆりかもめの「市場前駅」の目の前にある。記者が訪問したのは4月8日月曜日の午前11時頃だったが、市場前駅から多くの観光客が専用通路を通って豊洲市場に移動していた。

 豊洲市場は道路を隔てていくつかの棟に分かれている。豊洲市場店は「水産仲卸売場棟」3階にある飲食店エリアの一角にある。同エリアを歩いてみると、寿司店には観光客が行列をつくって並んでいた。一方、とんかつ店や中華料理店などはそれほど混雑していない。店内の様子を伺ってみると、長靴を履いて頭に鉢巻きをしている男性らが黙々と食事をしていた。特に大きな手荷物も持っていないので、観光客ではなく市場関係者なのは明らかだろう。

 多くの寿司店は2000~3000円台の鉄火丼やにぎり寿司セットを提供しており、日常的に利用するような価格帯ではない。また、観光客の多くは新鮮な寿司や刺身を求めて豊洲市場を訪れている。観光客と市場関係者で利用する飲食店はハッキリと分かれているようだった。

 豊洲市場店の店長に聞いてみた

 豊洲市場店はメニューや接客方法の点で、他の店とは違う運営方法をしているという。どのようになっているのか、店長の浅川健司氏に話を聞いた。

 営業時間は1号店のときと同様に、午前5時~午後1時となっている。周囲の飲食店の中には午前10時頃に営業を開始するところもあるが、あくまでメインのお客は市場関係者を想定しているのだ。24時間営業をしていない吉野家の店舗は他にもあるが、午後1時に閉じる店は珍しい。

 豊洲市場店は提供するスピードの観点から、メニュー数がかなり少ない。「ここまでメニューを絞っているのはここだけです」(広報担当者)。他の多くの店舗では、さまざまな定食メニューを提供しているが、豊洲市場店のメインメニューは「牛丼」と「サラシア牛丼」(血糖値の上昇をおだやかにするサラシノールを配合したもの)くらいで、残りはお新香やみそ汁などのサイドメニューだ。「注文の99%は牛丼ですね」と浅川店長は語る。

 お客に占める市場関係者の割合が高いのも豊洲市場店の特徴だ。「毎日のようにくるお客さまがいらっしゃいます」(浅川店長)。常連客が注文するメニューはほぼ同じなので、浅川店長は「(注文を)言われなくても提供するのが目標」と語る。ミスター牛丼の魂はこの店でも受け継がれているようだ。

 ピークタイムは午前6時~8時の間だ。店の外に行列ができるほどではないが、席は常に埋まっている状態だという。テークアウトの牛丼を注文するお客は全体の2~3割を占める。店内で食べている暇もないほど忙しい市場関係者が購入していく。さらに、とにかく多忙なせいか「早食い」のお客が多いという。牛丼が提供されてから2~3分で食べ終わる人もいるのだとか。

 豊洲市場店は日曜日以外は営業しているが、最も混雑するのは土曜日だ。日曜日の前に、鮮魚などを買い求める料理人らが豊洲市場を訪れるからである。

豊洲市場店のメニュー

豊洲市場店のメニュー

 仕込みを開始するのは午前3時30分

 豊洲市場店は店舗のオペレーションの面でも、他の店舗と大きな違いがある。通常の吉野家では、お客から「牛丼の並盛と卵」と注文を受けた際、専用の機械に店員が注文を入力する。注文内容は、厨房にいる店員に即座に伝わる仕組みになっている。しかし、豊洲市場店では接客をする店員が「牛丼並一丁」と言ったら、厨房にいる店員は注文内容を記憶して、すかさず調理にとりかかる。これは、常連の注文に迅速に対応するための工夫なのだという。

 豊洲市場店の店内を見渡してみると、あることに気付く。それは、アルバイトの時給が高いのだ。店内の看板には、午前5時~8時が時給1500円、午前8時~午後2時は時給1300円と書いてある。早朝5時にアルバイトが出勤しようとすると、利用できる公共交通機関がほとんどないため、自転車やバイクなどで通うしかない。そのため、時給を高めに設定しているという。筆者はかつて、東京駅付近で営業する某牛丼チェーン店が、ランチタイムに時給1400円でバイトを募集している看板を見かけたことがある。人手不足も背景にあるだろうが、自宅から通いにくい条件の店舗は午後10時~午前5時以外の時間であっても時給が跳ね上がることがあるようだ。

アルバイトの時給が高い

アルバイトの時給が高い

 築地店から持ってきたものは?

 最後に、築地店から豊洲市場店に持ってきた備品などはあるのかどうか聞いてみた。全部で4つあるという。

 1つ目は、店内の壁に掲げられている木彫りの作品。これは、創業当時の吉野家の店舗をイメージしてつくられたものだ。2つ目は築地で営業していた吉野家の店舗外観を描いた絵画。3つ目は店舗の外に掲げられた吉野家の歴史とこだわりを解説した看板。4つ目は、鍋に残された牛丼のタレだ。

 このように、吉野家の豊洲市場店にはさまざまなこだわりが受け継がれている。観光目的で豊洲市場を訪れた際、寿司を食わずにあえて牛丼を食べながら同社の歴史に思いを馳(は)せるのも面白いかもしれない。

 築地店の備品など

1号店から持ってきた「吉野家の歴史を示した看板」

1号店から持ってきた「吉野家の歴史を示した看板」

豊洲市場店の持ち帰り窓口

豊洲市場店の持ち帰り窓口

店舗から外を見た

店舗から外を見た

店長の浅川健司氏

店長の浅川健司氏

豊洲市場の外観

豊洲市場の外観

豊洲市場の外観

豊洲市場の外観

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