万博尽力、街角景気、新エネ開発に先見…堺屋氏死去

 8日に堺屋太一氏が死去し、ゆかりある関係者や経済人から悼む声が相次いだ。通商産業省(現経済産業省)の若手官僚として昭和45年の大阪万博の開催にかかわり、作家として活躍。民間人閣僚として経済企画庁長官を務め、国家の政策立案に力を注ぎ、関西の活性化にも取り組んだ功績をしのんだ。

これから万博…知見を得たかった

 「関西唯一のプロデューサーだった」。大阪万博の収益金の一部を基金として受け継いでいる「関西・大阪21世紀協会」の堀井良殷(よしたね)理事長(82)はこう振り返った。

 平成25年9月の東京五輪開催決定直後、知人のパーティーで顔を合わせた際には、「東京で2度目の五輪をやるのなら、次は大阪で2度目の万博だよ。2025年だな」と真顔で語っていたことが印象的だったという。「当時はみんな冗談だと思っていたがご本人の中ではビジョンがあったのでは。常に時代を的確に捉え、先を見据えた発想をもっていた」と話す。

 地域活性化の仕掛けをライフワークの一つにしていた堺屋さん。計画は頓挫したものの、大阪屈指の繁華街、ミナミの道頓堀に巨大プールの開設を提案し、驚きを呼んだ。

 元関西経済連合会会長の秋山喜久さん(87)=元関西電力会長=は昭和45年の大阪万博の準備を担う関西財界側の担当者の1人として、同年代の堺屋さんとひんぱんに顔を合わせた。会場までの輸送力の増強策など「国の承認が必要な案件は表に立って、柔軟に対応をしてくれた」と話す。

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