【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)花形の映画技師になる

 《文化大革命(文革)の影響で一般の大学入試はストップしたままだった。村にとどまり、牛の世話など農作業を手伝っていたところ、良い知らせが入ってきた。人民公社に3人いた映画技師の1人が引退するので後任を探しているという》

 中国の農村でみんなが憧れていた職業のひとつが映画技師でした。映画は最大の娯楽でしたから。といっても村に映画館などありません。野外に幕を張って上映します。映画技師には人民公社から給料が出ます。当時は集団農業で働いた分に応じて各自が点数をもらい、それを基に年末に少しばかりの現金を受け取り食料の配給を受けるという制度でしたから、給料の出る仕事などほかにありません。やりたいと思う人はたくさんいました。

 当初、地元の2人の共産党幹部の家族らが「やりたい」と手を挙げたようですが、一方だけ選ばれれば禍根を残します。そこで誰かほかに候補者はいないだろうか、ということになったとき、誰かが「そういえば紅旗村(故郷の村)に絵のうまい子がいるらしいよ」と言って、私のことを候補にあげたそうです。それを伝え聞いた母が家から3キロぐらい離れた人民公社へ出向いて「うちの子をぜひ」と言ったらしい。それで試験を受けることになりました。

 《試験は筆記と実技だった。筆記は政治常識や歴史。実技は当時1本の映画に対して4本ぐらいあったフィルムの入れ替え作業だった。1本終わったらどれぐらい速く入れ替えられるかを競った》

 冬は本当に寒いところですからフィルムがよく切れるのです。特殊な糊(のり)でさっと素早くつなげられることが大切でした。

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