【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)初めての写真は「北」の背広で

 ■初めての写真は「北」の背広で

 《飛び級により中・高校混成の「朝鮮民族中学」を15歳で卒業。しかし文化大革命(文革)の影響で、一般の大学入試が中止となっていたため、その先の展望はなかなか描けなかった》

 15歳になるまで顔写真を撮ったことはありませんでした。父は早くに亡くなり、母は仕事に忙しくて私に構う暇などなかったからです。写真を撮ろうと思ったのは仲の良かった友人の兄が写った1枚のモノクロ写真がきっかけでした。

 友人の家の中の一番目立つところに彼の兄の顔写真がかかっていました。ポマードで固めたオールバックの髪、ネクタイを締めた背広姿は、村の出身とは思えないほど洗練された紳士でした。文革の前でしたが、大連工学院(現在の大連理工大学)在学中に、両親に相談もなく北朝鮮へわたって、研究所で働いていました。写真は北朝鮮から本人が送ってきたものでした。

 《1960年代、中国東北地域から10万人を超える朝鮮族出身の「知識人」が北朝鮮に渡った。北朝鮮当局は中朝国境沿いの街に帰国受付所を設置し、中国から逃げてくる「知識人」や技術者を受け入れた。このため、中国東北地方の一部の研究所や工場、病院は閉鎖に追い込まれた》

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