【話の肖像画】龍谷大学教授・李相哲(61)村に戻された元モスクワ大生

 《文化大革命(文革)の時代でも故郷の村では平穏な日々が続いていた。しかし、隣人には文革の犠牲者がいた》

 文革が始まる1966年までに、300世帯ある村から3人の大学生が輩出されました。大学生が本当に珍しい時代です。うち1人はハルビン工業大学を卒業した後、モスクワ大学に留学したエリートでした。反右派闘争で「右派」とされ、「労働改造」のために村に戻されていました。平壌出身で女優をしていたという奥さんが一緒でした。小顔ですらりと背が高く美人の奥さんは村人の話題を独占しました。北朝鮮には日本が残していったインフラがあり、当時はアジアでも有数の工業国。みな大都会である平壌の話をしてほしいとねだっていました。

 《村人の話題を独占した「平壌奥さん」だったが、自身はモスクワ大卒の夫と話をしたくてたまらなかった。モスクワとはどんなところだろう。どうすれば外国に行けるのだろう、と思っていた》

 村人は好奇心半分、同情心半分で2人に接していたと思います。都会出身の奥さんと大知識人が田舎で腐っていると。元モスクワ大生は「反動分子」のレッテルを貼られていたので敬遠する人もいたと思います。

 72年頃だったと思いますが、文革で迫害を受けた中国共産党内の「穏健実務派」への評価が変わり、トウ小平が復活して空白状態になっていた教育に力を入れた時期がありました。

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