【主張】「天安門」外交文書 脅威育てた失策の反省を

 日本の対中外交の重大な失策が外交文書の公開で裏付けられた。政府は真摯(しんし)に反省し、対中融和姿勢を見直す契機としなければならない。

 中国共産党政権が民主化を求める大学生らを武力弾圧し、多数の死傷者を出した1989年6月4日の天安門事件の当日に、日本政府が「長期的、大局的観点から得策でない」との理由から、欧米諸国との対中共同制裁に反対する方針を明記した文書を作っていた。

 当時の宇野宗佑首相は7月6日、間近に迫った先進7カ国首脳会議(G7サミット)を念頭に、「中国を国際的孤立に追いやるのは不適当」と述べていた。

 6月4日の文書は事件を「人道的見地から容認できない」としたが、中国の国内問題であるため非難には限界があるとも指摘した。人権問題軽視の姿勢である。

 中国に対する制裁や非難がかえって逆効果となることや、日中関係の悪化を恐れたとみられる。

 日本が反対したことから、同年のG7サミットは共同制裁を見送った。日本は翌年7月には円借款再開を表明するなど、天安門事件をなんら反省しない中国共産党政権が国際社会に復帰することを積極的に手助けした。

 中国が豊かになれば、民主化や自由化が進むと予想したのかもしれないが、その期待が誤っていたのは明らかだ。

 自国の未来を担う大学生らに対して戦車まで繰り出して血の弾圧を行う政権が、自国民はもとより、外国や外国の人々を尊重するわけがない。そのような自明の理を当時の首相や政府が分かっていなかったのは驚くべきことだ。

 中国の習近平政権は独裁を強め、巨大な経済力と軍事力を背景に覇権主義的行動をとっている。脅威となった中国を育てた責任は日本にもある。

 今や米国は中国と激しく対立し、欧州諸国も対中警戒感を隠さない。そこで習政権は日本に対して、尖閣諸島(沖縄県)を狙う一方で、外交、経済面では友好を持ち掛けている。天安門事件後に日本に接近し、制裁打破の突破口に利用したのとそっくりだ。

 菅義偉政権は過ちを繰り返してはならない。香港やウイグルなどの人々の人権問題をもっと重視すべきだ。習国家主席の国賓来日は事実上の凍結では足りず、早急に白紙に戻してもらいたい。

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