【主張】夏の甲子園 プレーする喜びを球音に

 各校とも1試合だけの晴れ舞台で、記録として報われることはない。それでも、球児たちには全力のプレーで球史に足跡を残してほしい。

 新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった今春の選抜高校野球大会の代表32校が、10日から甲子園球場での交流試合に臨む。

 特別に用意された舞台である。予備日をはさみ17日まで計16試合が行われる。

 各校ともベンチ入りの選手20人に加え、指導者やスコアラー、練習補助員を含めた最大30人が甲子園に招待される。

 宿泊は2泊までで、近隣府県の高校は日帰りとなる。観戦できるのは、選手の保護者ら一部の関係者にかぎられる。

 やはり中止となった夏の選手権大会に比べて、規模は大幅に縮小された。しかし、全国ではコロナ感染者が増え続けており、開催には少なからず危険を伴う。

 関係者が心しなければならないのは、交流試合が来春の選抜大会の可否につながるということだ。甲子園で感染拡大が起これば、選抜の選考材料となる秋季大会にも支障が出る。各都道府県の独自大会と同様に、万全を期した交流試合の運営に努めてほしい。

 今夏の感染防止に向けた取り組みは、来年の東京五輪・パラリンピックにも生かせるはずだ。

 この機に、球児の記憶にとどめてもらいたい歴史がある。春の選抜と夏の選手権は、先の大戦で各5大会が中止になった。

 ただ一つ例外として、昭和17年の夏、参加16校による全国中等学校野球大会が行われた。現在の全国高校野球選手権に相当する大会だ。開催目的は「銃後鍛錬」、つまり若者の戦意高揚だった。球児は「選士」と呼ばれ、打者は体の近くに来た投球を避けることが許されなかったという。

 この大会は文部省の主催で行われ、日本高校野球連盟は記録として認めていない。

 高校野球の歴史には、そのような出来事もあった。

 交流試合とはいえ、甲子園の土を踏む権利を得た球児たちは、決して悲運の象徴ではない。どんな状況に置かれても、プレーできることに勝る幸せはあるまい。

 コロナ禍にも屈しないスポーツ界の代表として、テレビ桟敷で見守る全国のファンに球音を届けてほしい。熱戦を期待する。

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