【主張】原爆の日 苦難と復興の歴史に光を

 広島に原爆が投下されて75年となった。四半世紀を3度、重ねたことになる。

 9日は長崎も原爆の日を迎える。どれほど長い時間がたっても、犠牲者の無念を思い、心から追悼したい。

 新型コロナウイルス禍にある中での、広島の原爆の日である。感染拡大防止のため、平和記念式典も規模を縮小して行われる。

 犠牲者を悼むとともに、原子爆弾の被爆という未曽有の事態からよみがえった広島の歩みを、改めて思いたい。

 広島市の松井一実市長が平和宣言する。事前に発表された骨子ではウイルスの脅威について触れ、「75年間は草木も生えぬ」と言われた広島で人々が連帯して苦難に立ち向かい復興したと述べる。

 どれほどの困苦があったか。作家の原民喜は「夏の花」で悲惨な広島の様子を描いた後、「鎮魂歌」という小説とも散文詩ともつかぬ作品を書いた。

 「僕は堪(た)えよ、堪えてゆくことばかりに堪えよ」「堪えて、堪えて、堪え抜いている友よ。救いはないのか」

 悲痛すぎる言葉である。原は自死した。広島の復興の背後に、これほどにも深刻な苦悩があった。苦難と復興の歴史を忘れぬよう、改めて光をあてたい。

 人体への影響も残った。放射性物質やすすを含んだ「黒い雨」を浴びた原告に広島地裁が7月末、被爆者健康手帳の交付をようやく認めたばかりだ。

 しかしそれでも人々は懸命に歩み、街や暮らしを再建した。苦難を克服してきた。

 その歴史は、新型コロナウイルスや豪雨災害に苦しむ現代の日本に、なにがしかの力を与えてくれるのではないか。耐えている人々を全員で支え乗り切りたい。そのような連帯を大切にしたい。

 ただし平和宣言が政府に対して核兵器禁止条約を締約し、世界が連帯するよう訴えることまで求めるのは、いただけない。

 3年前に国連で採択された同条約に日本は参加していない。北朝鮮などの核兵器の脅威が続く中、米国の核の傘に抑止力を頼る日本としては正しい判断である。核兵器廃絶の理想は尊い。しかし理想だけで平和は守れない。

 支え合ってウイルス禍に耐えることと現実の平和を守ることを、鎮魂の念とともに思いたい。

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