【主張】沖縄慰霊の日 歴史知り心からの鎮魂を

 沖縄は23日、戦後75年の慰霊の日を迎えた。

 最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれる。新型コロナウイルス感染防止のため、規模を縮小せざるを得なかった。

 参列できる人の数が限られても鎮魂の思いは変わらない。それぞれの場所で哀悼の誠をささげ、平和への誓いを新たにしたい。

 昭和20年4月1日に米軍は沖縄本島に上陸してきた。総兵力約54万人の米軍は1カ月で占領できると見込んでいたが、日本軍は沖縄を守ろうと激しく抗戦した。

 日本軍の力戦は県民の献身的な協力と犠牲に支えられていた。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊では、半数の若い命が散った。

 摩文仁で牛島満第32軍司令官が自決し、組織的戦闘が終結した6月23日までに日本の将兵と県民18万8千人が亡くなった。米軍は1万2千人以上が戦死した。

 この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦における尊い犠牲の上に今の日本の平和がある。

 ところが、文部科学省の検定を通って、来年度から使われる中学校の教科書には、日本軍が「沖縄を『捨て石』にする作戦だった」とする記述が載るものがある。初めて沖縄戦を学ぶ中学生がこれを読めばどう思うか。

 沖縄戦で戦死した日本の将兵の多くが沖縄以外の出身だった。

 沖縄を守ろうと九州などから陸海軍の特攻機2571機や空挺(くうてい)隊が出撃した。戦艦「大和」も沖縄への海上特攻作戦で沈み、3000人以上が戦死した。

 「捨て石」とはあまりに心無い見方だ。このような偏った歴史認識では沖縄戦の実相を理解できないのではないか。

 23日は、今の日米安全保障条約の発効60年にも当たる。長く米軍基地の負担を続けてきた沖縄には感謝しなければならない。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設には反対論がある。だが、普天間周辺に暮らす県民の安全を確保するためにも移設は欠かせない。

 沖縄が直面する危機にも気づかなくてはならない。沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を中国が奪おうとしている。日米同盟により抑止力を整え、平和を守る必要がある。これは沖縄の悲劇を繰り返さないための方策だ。

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