【主張】ハンセン病訴訟 控訴の見送りを評価する

 ハンセン病患者の隔離政策による家族の差別被害を認め、国に賠償を命じた熊本地裁判決について、安倍晋三首相は「控訴しない」と表明した。「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆さまのご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」とした首相の決断を評価する。

 あえて苦言を呈すれば、地裁判決の一部に「受け入れがたい点がある」とか、「異例のことだが」という文言はいらない。

 元患者と家族は、誤った政策により家族関係を壊され、就学、就職、結婚などで「生涯にわたって回復困難」な差別被害を受けてきた。国は政策の非を全面的に認めるべきである。

 家族が受けた差別被害をどう認定し、賠償の範囲や金額をどう決めるかは難しい問題だろう。家族の間で不公平感が生じない救済策にしなければならない。

 根本匠厚生労働相は「他の事案に単純に波及するとは考えていない」と述べたが、行政の整合性にも慎重な配慮が必要だ。

 旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された障害者らが賠償を求めた訴訟では、国は争う姿勢を撤回していない。仙台地裁は立法措置を講じなかった国会の違法性を否定したが、司法判断とは別に、政府として公平で整合性のある施策を行う必要がある。

 ハンセン病家族の問題は、国が控訴を見送り賠償責任を果たすだけでは、真の解決にはならない。家族訴訟の原告の大半は実名を明らかにしていない。訴訟に加わったことで離婚に至った原告もいる。患者と家族に対する理不尽な差別が、今も根強く残っていることの証左である。

 国の誤った政策が差別の原因をつくったことは間違いないが、差別を実行した直接の加害者は国ではなく「社会」であるといえるのではないか。

 個人の明確な意識をもって特定の人を排除、攻撃することだけが差別ではない。社会全体のとらえどころのない空気が、ハンセン病の元患者や家族に限らず、多様な差別被害を生み出す。無意識のうちに差別する側に立ってしまうケースが多いだろう。

 「社会」から差別を払拭するのは容易なことではない。無意識のうちに加害者にならないために、国民一人一人が差別に向き合う勇気と覚悟を持ちたい。

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ