命をかける仕事の誇り 前統合幕僚長・河野克俊氏

 【話の肖像画】前統合幕僚長・河野克俊(64)(6)

 〈河野氏の父、克次(かつじ)さんが生前、よく口にしていたことがもう1つあった。自らが身を置いていた海上自衛隊の将来に関することである。旧海軍軍人を経験した人物としての率直な思いでもあった〉

 防衛大を出た後、江田島(広島県)の海上自衛隊幹部候補生学校も首席で卒業しました。父は驚いたようで、喜んでその卒業式にも来ました。遠洋航海を終え、護衛艦「はるな」に乗ることが決まりました。

 今でいうと「いずも」のような新鋭護衛艦に乗るようなもので、私には直接言いませんでしたが、おふくろには「いい船に乗れるな」と話していたそうです。

 2人の兄は父の後を継がなかったわけですが、私の自衛官人生の方向性も定まり、無事にスタートしたと安心したのでしょう。統幕長になるとは、さらさら思っていなかったでしょうが。

 父は「いずれ海上自衛隊は海軍になる」とよく言っていました。帝国海軍から海上自衛隊に行った彼の人生からすると、海軍はなくなってしまった。自分のいる海上自衛隊は異なるものだったんでしょう。

 終戦後、父は復員業務などに従事した後、民間に出ることはなく海上保安庁に入り、それから自衛隊に変わりました。

 海自は戦後の暫定的なもの、あくまでも過渡期のものとして存在しており、いずれ元の海軍が復活するという信念を持っていたんです。このままの状態なんてあり得ないと、私には言っていました。そこには当然、憲法改正が必要だという主張もあったのでしょう。

 〈真珠湾攻撃に参加した父、克次さんの話は以前から聞いていたが、この件は初めて聞かされた。体験に基づき、憲法上の位置づけを変更すべきだという主張に注目した〉

 戦争はけんかとは違います。双方の人間は、互いに命をかけて祖国のために戦う。そこには尊敬の念がある。それが軍人の関係の礎になっている。

 訪米した際に、高齢の退役軍人と会う機会もありました。そういう場面で父が旧海軍にいたことを話すと、けっしてネガティブな反応はなかった。むしろ、尊敬の念を持たれる。オーストラリアでも勇者として扱われました。おまえはそういう父親の息子なんだ、と。

 防衛大では海、陸、空のいずれに行くかは1年生のときは白紙で、2年生になって1年の成績や希望で決まります。

 私の場合、父が海軍だったこともありますが、海上自衛官の息子として育ち、周りには水兵さんばかりいて、海自の行事にも行っていました。

 父が第1術科学校の副校長だった江田島は、住んでいるところ自体が自衛隊みたいなところでした。校長を務めていた鈴木英(すぐる)さんは、鈴木貫太郎元首相のおいにあたる人でした。

 海以外の自衛隊の世界は知らなかったわけですから、海自に進むのは必然だったわけです。(聞き手 石井聡)

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