冷徹な戦略に立つべきでは…平成に学ぶ「日中」の教訓

【石平のChina Watch】

 平成時代の日中関係は、平成元年(1989年)6月の天安門事件から始まる。

 中国共産党政権が民主化を求める自国の若者たちを武力で鎮圧したことで、事件の直後に西側先進国が一斉に中国に対する経済制裁を行った。先進国の一員である日本も当然制裁に加わったが、翌2年、日本は率先して中国への経済制裁を解除し対中ODA(政府開発援助)を再開した。諸先進国がそれに追随した結果、中国はやっとの思いで、制裁による自国経済の崩壊から逃れた。

 4年4月、当時の中国共産党総書記の江沢民氏が訪日して、天皇陛下の訪中を日本政府に要請し、そのための外交工作を行った。同年10月に史上初の天皇訪中が実現したが、この歴史的訪問を絶好の機会に中国は天安門事件以来の外交的孤立を打破し国際社会への復帰を果たした。

 しかし、江沢民政権は外交上で日本の助けを受けていながら、国内では天安門事件以来失った政権への求心力を取り戻すべく「愛国主義教育運動」を展開し、それとセットにした反日教育を行うことになった。長年の洗脳教育の結果、反日感情というものが多くの中国国民の間で生まれ、17年と24年の中国における反日暴動の発生につながった。

 国内で反日教育を展開する一方、中国は外交的にも徐々に反日へとシフトした。江沢民国家主席は9年の訪米時、わざわざハワイに立ち寄り真珠湾で献花をし日本を米中共通の敵と印象付けようとした。そして10年に国賓として日本を訪問したとき、江沢民国家主席は至る所で「歴史問題」に言及し、日本たたきに終始した。揚げ句の果てには、宮中晩餐(ばんさん)会に黒い人民服を着用して出席し、天皇陛下の前で遠慮のない日本批判を展開した。

 こうして振り返ってみると、平成時代最初の10年の日中関係は結局、日本が一方的に中国に利用され、一方的に中国にたたかれるという世にも不思議かつ歪(いびつ)な外交関係であった。そして日本の中国に寄せた好意と中国に対する助けは全部裏目に出て、イソップ童話の「農夫と蛇」の物語がそのまま再現された。

 このような日中の関係史からわれわれは、「日中友好」も「対中親善」も、まったく無意味であることを思い知らされたのではないか。

 そして平成最後となる昨年あたりから、中国の習近平政権は政権成立以来の日本無視の外交姿勢から一転して、日中関係の改善に積極的に乗り出した。その理由は、米中関係が未曽有の対立ムードとなった中で、あるいは習政権肝煎りの一帯一路構想がアジア諸国と西側先進国の大半から批判と反発を受けている中で、当の中国が対米牽制(けんせい)のために、あるいは国際社会を説得するために日本を大いに利用したいからだ。

 つまり以前の江沢民政権の時と同じように、「蛇」は再び「農夫」に助けを求めてきているのだが、日本はどう対処すべきなのか。

 日中関係の安定化自体は特に問題はないと思うが、われわれが忘れてはならないのは、平成の日中関係の大いなる教訓である。中国のために火中のクリを拾う形で一帯一路に参加するのも、米中冷戦における同盟国・アメリカの戦略と立場を無視して過度な中国接近を行うのも、日本の国益にとっては百害があって一利のないことは明らかだ。

 令和の時代のわが国の対中外交は、まさに国益を守ることを唯一の立脚点とし、好意からの「対中親善」や「日中友好」の幻想とは無関係な冷徹な戦略に立つべきものではないのか。

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【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

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