別に朝ドラ『らんまん』のヒロインに触発されたわけではないが、この『八犬伝』を読んでみた。曲亭馬琴の原作『南総里見八犬伝』の登場人物や筋書きについては、昔、NHKで見た人形劇をかすかに覚えている程度の予備知識である。山田風太郎はこの長大で複雑極まりない物語を、絡まる糸を解きほぐすようにサクサクと進めてゆく。
しかし、お立ち会い! これは単なる翻訳本やダイジェスト本の類ではない。そこは『忍法帖』シリーズで一世を風靡した山風先生のこと、ちゃんと仕掛けがある。この小説の中では「虚」の世界としての八犬伝と、「実」の世界として、それを書く馬琴自身の現実が交互に描かれているのだ。馬琴が葛飾北斎に『八犬伝』の構想を語るという構成になっている。
読者であるあなたは知らず知らず、北斎とともに八犬伝の世界に引きずりこまれる。虚の世界が巧妙であればあるほど実の世界の現実味も増してくる。馬琴が八犬伝を書いた時代背景、その人となり、当時の出版事情、北斎をはじめ取り巻く様々な人物、果ては家族に至るまで、こと細かに知ることができる。
ある日、馬琴と北斎は中村座へ出かけた。演目は『東海道四谷怪談』。この通し狂言は『忠臣蔵』と『四谷怪談』二つの世界が交互に描かれていた。終演後、馬琴と北斎は作者、鶴屋南北と遭遇する。そこで馬琴が、作品の本当の狙いは忠臣蔵を愚弄することでは? と問うと南北は言う。「ほんとうは、四谷怪談のほうが実で、忠臣蔵のほうが噓ばなし、つまり虚だと、あたしは考えているのでございます」と。
本を閉じたあなたはそっとあたりを見回すであろう。そして思う。果たしてここは実の世界か、はたまた虚の世界か…。
奈良県桜井市 金澤均(73)
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