あなたはどう考える?
前回の小欄についてもさまざまな意見が寄せられたが、今回は反論を紹介しながらそれらに応えていきたい。
《言論の自由の観点から、交流サイト(SNS)の少数者の意見を否定するこの意見には反対だ。この文は、大手新聞社がSNSの少数派意見を封じ込めるようにも読める》
メールで意見を寄せてくれた男性はこうつづった。言うまでもないが、少数者の意見を否定したり封じたりする意図はない。その理由は、前回冒頭で、タレントの故上岡龍太郎さんがおそよ30年前のバラエティー番組で発した、テレビ界についての見解を引き合いに出したことに収斂(しゅうれん)される。
「見たい人だけ見ていただいたら結構です。見たくない人は消して結構です。テレビなんて本来そんなもん」
あえて上岡さんの発言を再度引用したが、これは言い換えれば「批判をしてくれても構わない、でも信念に基づいて面白いと思う番組を続けていく」ということだ。
そして批判をする人たちの多くは、あくまでもクレーマー的なノイジーマイノリティー(声高な少数派)であるとの分析結果を紹介したにほかならない。
すでにSNSが普及し、いや応なく批判や反論が届く社会になっている。それは表現や言論の自由が保障されているからであり、誹謗(ひぼう)中傷や名誉毀損(きそん)といった違法行為でないかぎり自由に発信することが可能だからだ。ならば信念のある言動については、それらに振り回されず貫けばよいのではないかとの問題提起である。
また、最近の炎上事例として、自民党女性局長(当時)の松川るい参院議員らがフランス研修中にエッフェル塔前で記念撮影し、ネット上にアップしたことに触れた。
これについては、大阪府内の男性が《率直に言えば問題を起こした松川るい議員を擁護するための記事ではありませんか?》との意見を寄せてくれた。
前回、政治家として軽率であることは指摘した。だが、研修中に記念撮影し、それをSNSにアップしたことがこれほどの批判に値するかと、疑念を抱いたまでだ。現にネット上では《目くじらを立てて追及するほどではない》や《議員の仕事をしっかりやってくれれば》などとの意見は多い。
要するに政治家、特に国会議員である以上、国民にとって利となる結果を出せばいいだけだ。まして選挙という「究極の民主主義」によって付与される立場である。
「選挙に落ちればただの人」と言われるように、選挙ごとに有権者によって「審判」が下される。言動が議員として不適切と思うなら投票せず、落選させればいい。
そもそも言論の自由を問題視するならば、松川氏らによるSNSでの言論や表現も尊重すべきではないのか。エッフェル塔前の記念撮影写真をアップして誰かに迷惑をかけたわけでもなければ、議員としての仕事をおろそかにしたという確たるものはない。
議員にもプライベートや個人として言動する自由はある。一方で、議員が非の打ちどころのない人でなければならないとは思わない。
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担当するのは…大阪社会部次長 津田大資(つだ・だいすけ) 担当した記事への反応は、賛否いずれであってもありがたい。メディアとして健全な言論空間を提供できれば本望だ。よって「またお前か」と言わず、再登場をお許しいただきたい。
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「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」は近年同一の意味とされています。しかし、かつて、世論は世間の空気的な意見、輿論は議論を踏まえた人々の公的意見として使い分けられていました。本コーナーは、記者と読者のみなさんが賛否あるテーマについて紙上とサイトで議論を交わし、世論を輿論に昇華させていく場にしたいと思います。広く意見を募集します。意見はメールなどでお寄せください。
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