JR中野駅前(東京都中野区)にある会場には、コーヒーの香りが漂い、コーヒーを愛する人が集っていた。7月上旬に開かれたチャリティーイベント「コーヒーエイド」。主催したのは、熊本市北区の深迫祐一さん(63)と、祥子さん(54)夫妻だ。4年前に交通事故で亡くなった長男の忍さん=当時(29)=の思いを継ぎ、自宅敷地内にコーヒー店を開いた。
会場の一角には交通事故や事件などで亡くなった人々の家族が記した約50枚のパネルが展示された。来場者は、コーヒーのカップを片手に一つ一つのパネルをじっくりと読み、中には涙を流す人の姿もあった。
「亡くなってもパネルを通じて話すことができる。この声を聴いてもらい、おいしいコーヒーを飲んで、癒やされて帰ってほしい」と祥子さんは話す。
令和元年7月9日、東京都内のコーヒー店でバリスタや焙煎士として働いていた忍さんが事故で亡くなった。配送されてきたコーヒー豆を受け取るため職場の駐車場にいた忍さんに、アクセルとブレーキを踏み間違えたトラックが衝突。忍さんは建物との間に頭を挟まれて亡くなった。
涙が止まらず、何をしても忍さんのことが浮かんできた。どうやって前を向いたらいいか分からなかったが、夫婦は「忍がやろうとしていたことを私たちがやろう」と決意した。忍さんは婚約者と故郷の熊本で、店を開く準備をしていた。「その思いを継ごう」。祐一さんとともに熊本市の自宅横にカフェを開くことを決めた。
2人ともコーヒーについてはまったくの素人だった。忍さんの友人のバリスタらから教えてもらい、2年5月にカフェ「Calmest(カーメスト) Coffee Shop」をオープン。英語で「穏やかな」という意味の言葉を選んだ。事件や事故の被害者や遺族がそこに集まり、気兼ねなく話すことで心が癒やされていく場になるように、との願いからだ。
民事裁判を終えた後、賠償金を社会貢献のために使おうと、忍さんの三回忌に合わせ3年7月9日にコーヒーエイドを熊本市で開催した。3回目となる今年は初めて東京で開いた。忍さんや夫妻にゆかりのある全国のコーヒーショップが軒を連ねた。「やっと忍を東京に連れて帰って、みんなと会わせることができた」と祥子さん。
売り上げの一部は産業殉職者霊堂奉賛会や被害者支援センターに寄付される。事件や事故の被害者の生きた証しを伝え、家族が誹謗(ひぼう)中傷などの二次被害などを受けない社会につながることを願う。「今でもつらいのはなくならないんですよ。でも、遺族の声は怒りや悲しみだけじゃない。遺族も笑えるんです」(大渡美咲)