母校での教育実習を目前に控え、数学の教師になるという夢を追う大学生の一人息子を、夫婦で応援していたが、一瞬にして砕けた。
教師への夢砕く
「息子さんが事故に遭いました」。平成28年5月16日朝、阿部慎吾さん(63)=東京都世田谷区=のもとに警察から連絡が入った。その1時間前、長男で大学3年の慎太郎さん=当時(21)=を自宅で送り出したばかりだった。状況を理解することができなかったが、家族の介護で栃木県の実家に戻っていた、妻の由紀子さん(59)にも連絡し、病院に向かった。
慎太郎さんは大学へ自転車で向かう途中、トラックにはねられた。自転車は慎太郎さんがアルバイトでためたお金で買ったものだった。前輪は変形し、前照灯なども外れていた。3回の手術を受けたが、4日後の20日未明、息を引き取った。
「事務的」に怒り
慎太郎さんは小学校から高校まで野球に明け暮れた。明るく、友人にも恵まれ、事故当日も授業欠席を心配した同級生が家まで訪ねてくれた。葬儀には、友人ら650人が集まった。
事故から葬儀までの記憶は、慎吾さんには「あまりない」。ただ、加害者が勤務する運送会社の対応だけでなく、警察官や保険会社の対応も事務的に映り、感情が逆なでされたことは覚えている。
身近な人の何げない言葉にも傷ついた。慰めのひと言も、由紀子さんには「心から言っていない」と感じた。慎吾さんも「男親だから、しっかりしろ」「奥さんをサポートしてあげて」との激励に打ちのめされた。「男親は涙を見せてはいけないのか。耐えて仕事に邁進(まいしん)しなければならないのか」と感じた。
救いとなったのは、被害者支援都民センターだった。担当者は否定せずに話を聞いてくれた。由紀子さんは「『味方はだれもいない』と思っていたが、その気持ちが変わった」と話す。
同級生の結婚姿
事故から7年。由紀子さんは「悲しみが鋭い痛みから鈍痛のような慢性的な痛みに変わってきている」。慎吾さんも「怒りは決して収まらないが悲しみは表面的には薄らいでいる」と語る。
命日の5月20日は今年も夫婦で事故現場で花を手向けた。生きていれば29歳になる頃だ。同級生らの結婚や出産の報告はうれしいが、息子を思うと、複雑な気持ちになる。
事故で壊れた自転車は修理して慎吾さんが乗り続けている。由紀子さんは「『慎太郎だったらどう言うかな』と問いかけていることがある。慎太郎の生き直しと思って過ごしている」。心の傷は癒えないが、手探りで息子の死と向き合っている。(橘川玲奈)
被害者の支援制度整備 損害賠償には課題
警察庁の令和5年版犯罪被害者白書によると、犯罪被害者支援に特化した条例を制定しているのは今年4月1日時点で46都道府県に達した。全国で制定された支援条例には、被害者の経済的負担の軽減、住まいや雇用の安定、日常生活の支援、相談窓口の充実などが盛り込まれている。
犯罪被害者の支援・保護を国策として行うことを定めた「犯罪被害者等基本法」が平成17年4月に施行されてから、被害者が刑事裁判へ参加する「被害者参加制度」や、国からの「犯罪被害者等給付金」、加害者側に被害賠償を求めることができる「損害賠償命令制度」など、犯罪被害者支援は徐々に整備されているが、課題も残る。
とくに加害者に支払い能力がないなどの理由で犯罪被害者が損害賠償を受けられないケースがある。凶悪事件の損害賠償請求では加害者が無資力などとして賠償金が十分に支払われず、遺族が泣き寝入りすることも少なくない。
こうした実態を受け、警察庁は加害者からの賠償支払いに関する実態調査を行い、来年5月までに提言をまとめる。