八十路も半ば、コロナも収束に向かい、それまで毎月9日利用していた新阪急ホテル地下のラウンジが今月で閉店となることで、高校同期の集まりも区切りをつけようと「お開きの会」となった。
高校卒業30年後の第1回から数えて36年、計403回、他に5年ごとの全体同窓会、ゴルフやグルメなどの会が86回。仲間は「ギネスに登録したら」と言う。最初は十数名が雨でも雪でも、曜日に関係なく女性数人も含め、三々五々顔を出していた。
お世話役の私は50人に「お別れ会」でなく「お開き会」の案内を出し27人がやってきた。案内の返事には、「この足では大阪まで行けそうにないので」「療養中」「入退院の繰り返し」などで欠席。「最後だから足を引きずってでも」「畑などの仕事で多忙だけど元気」と参加。やはり身体の自由に自信のあるのは限られる。
女性の参加もあったが「主人の看病で早めに退席」の人もいる。中にはリハビリ休んで奥さんの手を借りての同伴もあった。返事が届かない人が5人だ。3年余り会えなかった反動で、お互い笑顔が絶えない。
なぜ、これだけ長くもめごともなく続くのだろうか。それは、会社の役員などで活躍していたとしても、表に出さない。また子供がない仲間もいるためか、孫の話は話題にしない、皆が暗黙のうちに理解しているのだ。素晴らしい仲間だからだ。この会が続いたことに感謝。最後だというのに「忘年会もやろうや」とまだ続けたい声が多い。でも切りがない。「お互い残る人生を楽しく、自由に、そして元気に生き延びよう」と別れたが…。
國司晴相(くにし・はるみ)(85) 大阪府茨木市