「ごめんな」と「遊びな」。主人が私を送りに来たエレベーターの前で言ったこの2つの言葉。これがまともに交わした主人との最後の会話となった。
「ごめんな」に対して、私は「うん」。
「遊びな」に対して、私は「遊ぶよ」。
まさかこのやり取りが最後の会話になるとは思っていなかった私は何と軽く返してしまったのだろう。なぜ、やさしい返事をできなかったのだろう。
間もなく、主人が亡くなって10年になろうとしている今、ここにきて「ごめんな」の言葉が頭から離れない。果たして何に対しての「ごめん」だったのだろう。
私より先に逝くこと? 義母を残して逝くこと? 夫婦の時間よりも仲間との時間や自分の趣味を優先してきたこと? 先生の忠告をきかずに養生せずに命を縮めたこと? 私の誕生日を目の前に毎年贈ってくれていた花束を贈れないこと? 結婚記念日に気付かず過ぎてしまったこと?…。
くり返す入院の中で最後になった入院ではほとんど会話がなく、先生から治る見込みがないことを告げられてからは全く話すこともなくなり、一人で絶望と不安と闘っていた。そんな中でいきなり言った2つの言葉。
どれほど尽くしても、亡くなったあとはいろいろな悔いが残るものである。私は、その日から急激に主人の意識が衰えると思ってもいなかったので、「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるきっかけがないままに終わってしまったことがとても大きな悔いとして残っている。私の方こそ、ごめんネ、そしてありがとう。
新(しん)道代(72) 兵庫県尼崎市