ビブリオエッセー

「あなた」に語る日常と回想 「この世の喜びよ」井戸川射子(講談社)

産経ニュース

『この世の喜びよ』。まるでバッハの教会音楽のような題名と「芥川賞受賞!」の大きな文字にひきつけられ、純文学もいっぺん読んでみよか、と思ったのです。表題作の他に「マイホーム」と「キャンプ」の短編2編。この作品集のどれもが普通の日常を描いた物語でした。

が、受賞作「この世の喜びよ」は読み慣れない読者には難物です。特別なことは何も起こらず、何が「喜び」なのか、「あなた」と呼びかける文体もなじみにくく、結局6回も読み返しました。購入した本屋さんに電話して何が書いてあるのか解説してもらおうと思ったぐらいです。

ところが、です。不思議なもので慣れてくると少しは味わえるようになりました。「あなた」と呼びかけられている主人公はショッピングセンターの喪服売り場で働く中年女性、穂賀さん。勤務シフトの休憩時間に交わす同僚女性とのなにげない会話やフードコートにいつも一人でいる女子中学生とのやりとりがあり、ゲームセンターのお兄さんやメダルゲームに没頭するおじいさんが登場します。そこにはさまれるのが二人の娘を育てた穂賀さんの回想でした。

穂賀さんの長女は勤め始めた20代。ちょうど私の孫娘と同じ年頃で穂賀さんが私の娘と同じぐらいでしょうか。「娘というのは、何か意に染まないことを言われるとすぐふてくされてしまう」や「娘ってすぐ嘘を吐く」など、私の記憶と重なり親近感が湧きます。

「思い出すことは世界に出会い直すこと」と書いてありましたが、そんなささやかな日常や回想が「喜び」の正体のように思います。

気になった「あなた」ですが、語るのは誰なのでしょう。いや、誰でもないのかもしれません。いやいや、もう一人の穂賀さん? やっぱり心の声ですよね。純文学ってややこしい。

大阪府河内長野市 中畔美代子(79)

投稿はペンネーム可。650字程度で住所、氏名、年齢と電話番号を明記し、〒556-8661 産経新聞「ビブリオエッセー」事務局まで。メールはbiblio@sankei.co.jp。題材となる本は流通している書籍に限り、絵本や漫画も含みます。採用の方のみ連絡、原稿は返却しません。二重投稿はお断りします。

今、あなたにオススメ

izaスペシャル

  1. 「SMAP再結成」を阻む、中居と木村深い溝 「木村だけは許さない」と漏らし…

  2. 長谷川京子が安藤政信と6時間ほぼ裸でシャワー室に… 「反響が楽しみ」

  3. 日本ダービーでスキルヴィング急死に哀悼コメントズラリ ルメール騎手の下馬直後に倒れ込む姿が「よく頑張った」と涙誘う

  4. 【芸能ニュース舞台裏】「性行為強要された」と女優4人が告白 出演者じゃなくて監督の不祥事で映画公開中止「こんな形で知られるなんて…」関係者

  5. 【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(926) 猿之助さん一家「心中」事件の謎、『文春』『新潮』が肉迫

今、あなたにオススメ