孔子の「吾十有五にして学に志し…」は有名な「論語」の一節だが、どれもなかなか到達できる境地ではない。30代のころ、「四十なんか惑いまくりや」と宣(のたま)う先輩を内心「大人げない」と思っていたが、「天命を知る」年になった小欄も、いまだ惑うことばかりである
▼多摩大学大学院の久恒啓一客員教授は、平均寿命が延びた現代は従来の1・6倍程度の年齢でこの人生訓を考えることが現実的だと説く。従来は15歳の「志学」は24歳で、30歳の「而立」は48歳ごろ。今がようやく社会で自立していけるようになり、新たな人生に踏み出すときだと思うと、至らぬわが身にも希望がもてる
▼この考え方では、従来は40歳の「不惑」は64歳、50歳の「知命」は80歳。ただ、「耳順(したが)う」が96歳ごろというのは少々まずい気がする。その年まで他人の意見を素直に聞けないのは、「かわいいお年寄り」ではないのでは。耳に痛い言葉も砥石(といし)と受け止めて、精進していきたい。