東日本大震災の津波により多くの人が犠牲になった、福島県いわき市久之浜地区。昨年から語り部としての活動を始めた木村貞子さん(75)は、痛感した命の重さと身を守る術を伝える。語り部として初めて迎えた3月11日。「亡くなった方に恥ずかしくないように、できることを伝えていきたい」と誓った。
「なんとなく津波は来ない、大丈夫だと思っていた」
木村さんは振り返る。地震が起き、机の下に逃げた。揺れが収まるのを待つと、夫の武さんに「普通の揺れじゃないから避難するよ」と言われた。木村さんが「どうして」と尋ねると、「絶対津波が来るから」と返事があった。
逃げる途中で、財布も健康保険証もないことに気づいた。自宅に引き返したとき、向かいに住む80代の女性のことが気になった。一緒の車で避難しようと声をかけると、女性の息子が出てきて、「大丈夫です」との返事が返ってきた。
武さんと2人で高台の中学校を目指した。たどり着くと、地区をのみ込む津波が見えた。「その光景を信じられなかった」という。
女性は遺体で見つかり、息子は救助されたものの、後日亡くなった。近所だけで十数人が犠牲となった。
しばらく東京の息子の家に身を寄せ、震災から2カ月半後、自宅を訪れると跡形もなくなっていた。いわき市内で武さんと過ごし、平成27年に久之浜の災害公営住宅に入居した。武さんは昨年3月、亡くなった。
語り部をしている女性に5月、活動に誘われた。娘に相談すると、「お父さんなら『みなさんのために伝えることができるなら、話したほうがいいよ』と言うと思う」と背中を押された。
何を話せばいいのか、不安はあった。それでも語り始めると、自然に言葉が出てきた。木村さんは「あのときなぜ、車に乗せなかったんだろうと心に引っかかっている」と振り返る。だからこそ、避難が大事だと力を込める。
「自然災害が起きたときにはそれぞれの心構えが重要。何ができるか、しっかり考えて伝えていきたい」(深津響)