元プロレスラーで参院議員も務め、昨年10月1日に79歳で死去したアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんのお別れの会が7日、東京・両国国技館で行われた。関係者4800人が参列した第1部では、弟子の藤波辰爾(69)や、テレビ朝日の新日本プロレス中継で実況アナとして名を上げたフリーアナウンサー、古舘伊知郎(68)らが弔辞を述べた。一般に開放された第2部では約2200人が献花し、故人を悼んだ。
「闘魂」の文字と、猪木さんが引退スピーチで披露した詩『道』がモニターに映し出され、坂口征二・新日本プロレス相談役(81)が開式を宣言。入場曲「イノキ・ボンバイエ」が流れ、追悼の十点鐘が鳴り響く。お別れの会は厳かに、かつ、にぎにぎしく始まった。
中央には赤いマフラー姿の遺影と「闘魂」の文字。リング型の式壇には赤いマフラーをイメージした道が用意された。
「あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。あなたになりたくて、越えたくて、大きな背中を追い続けてきました」。そう弔辞で語ったのは藤波だ。16歳で入門し、新日本プロレスの立ち上げなど、困難な時期もずっと一緒だった。
「もうちょっと一緒にいたかったな。今も現役なのは、リングにいれば猪木さんが来てくれるのではと思うから」。式典後、寂しげに話した。
弔辞の冒頭では、猪木対アンドレ・ザ・ジャイアントの実況を、古舘が当時そのままに語り始めた。テレビ朝日の新人アナ時代に新日本プロレス中継の実況を担当。「風車の理論」「名勝負数え唄」など独特の表現で新日本プロレスの黄金時代を支えた。
「猪木さんが見せてくれる豊饒(ほうじょう)なイメージを自分の言葉で話せばよかった」。多彩な表現を紡ぎだせた理由を語る。「〝猪木磁場〟があって、そこに入るとみんな仲間になれた。不思議な存在だった」と大きさを振り返った。
式典に参列し「いよいよこれで最後かなと感慨深かった」とは、本紙の野球専属評論家で、猪木さんとともにスポーツ平和党で参院議員も務めた江本孟紀氏(75)。「まさか国会にいくとは思いもしなかった。誘ってくれた猪木さんのおかげ。あれほどパワーのある人は、もう出てこないのでは」と別れを惜しんだ。
式典は、最後に猪木さんの孫、尚登さん(14)とプロレスラーのオカダ・カズチカ(35)が主唱し、会場全員で「1、2、3、ダーッ!!」を唱和。「闘う魂」を送り出した。(只木信昭)
■主な出席者 森喜朗、野田佳彦、鈴木宗男、江本孟紀、坂口征二、藤波辰爾、棚橋弘至、オカダ・カズチカ、武藤敬司、蝶野正洋、藤田和之、藤原喜明、小川直也、高田延彦、前田日明、亀田興毅、古舘伊知郎、松山千春、北斗晶(順不同、敬称略)