平成29年に78歳で亡くなったミュージシャン、ムッシュかまやつこと、かまやつひろしの「七回忌」をうたったコンサートが、命日にあたる1日、東京・LINE CUBE SHIBUYAで開かれた。
ザ・スパイダースの仲間である堺正章(76)や井上順(76)らゆかりのミュージシャン7組が駆けつけ、「バン・バン・バン」や「あの時君は若かった」など、かまやつの名曲の数々を、天国に届けとばかりに、にぎやかに歌い、演奏した。
平成30年から続く企画コンサート「SONGS & FRIENDS」シリーズの第5弾として、作編曲家の武部聡志(66)がプロデュースした。実は、武部のプロとしての経歴は、かまやつのバンドのキーボード奏者から始まった。
「すべてが、かまやつさんから始まりました。育ての親。〝7回目の誕生日〟を祝いたい」
思いがにじみ出た武部の挨拶から始まったコンサートは、素晴らしい音楽が披露されると同時に、各出演者が思い出話でかまやつをしのび、まさに七回忌にふさわしい場ともなった。
その意味で、この日のハイライトは2つだ。一つは、特別出演した長男、TAROかまやつ(53)が語った父への思い。もう一つは、スパイダース時代と変わらぬ不滅のバンドマン魂を見せつけて、天国のかまやつを喜ばせただろう、堺と井上の熱演だ。
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TAROは、トップバッターとしてステージに現れ、父の古希に贈った自作のバラード「ゆっくりとゆっくりと」をピアノの弾き語りで披露した。
父は独特の乾いた歌声が魅力だった。おそらく、カントリー音楽に根ざしたがゆえに獲得したものだろう。TAROには、それがない。それでも父と子。よく似た歌声だ。
「シャイだった父は苦しむ姿を家族以外の誰にも見せず、2017(平成29)年3月1日、ひっそりと旅立ちました」
歌い終わると、TAROは父を語り始めた。「叱られた記憶がない」。それどころか、「幼少期の父との思い出がない」。芸能界の超売れっ子の父と息子。微妙な距離が、ほのかにうかがえる。
一方、母は「長髪はダメ、ギターもダメ」と父を「反面教師」として息子を育てたという。
音楽家、かまやつひろしの偉大さを知ったのは、父の没後だった。「父を恩人と感謝し、尊敬している方々と大勢出会いました」。父を誇らしく思ったという。
TAROはまた、スパイダースを代表する1曲「なんとなくなんとなく」について「実は、忙しかった父に代わって母が作詞した」と驚きの事実も明かした。堺も「〝めおと曲〟なんですか?」と驚いた。
妻は夫を「反面教師」と呼んだが、実は大変なおしどり夫婦だったようだ。
TAROによると、母が亡くなった6日後、父は追うように旅立ったという。TAROは、2人が眠る墓石に、「なんとなくなんとなく」の歌詞を彫ってもらった。
「きょうは、どこかで、2人でステージを見ているのでは」とTAROは会場を見渡した。
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かまやつが最後に所属した音楽ユニット、LIFE IS GROOVE、今井美樹(59)、かまやつのいとこである森山良子(75)とその長男、直太朗(46)、ユーミンこと松任谷由実(69)が、それぞれ、ゆかりの曲を披露してステージが進む。
最後に堺と井上が登場し、大いにしゃべり、大いに笑わせ、そして「夕陽(ゆうひ)が泣いている」から「バン・バン・バン」までアンコールを含めてスパイダース時代の7曲を大いに歌った。
「夕陽が泣いている」を歌うと見せかけ、「言うのを忘れていたんですけど…」としゃべりだす堺。井上が、ずっこけてひっくり返る。共演は7年ぶりだというが、息はぴったりだった。
堺が言い忘れたのは、この曲は、「バラが咲いた」などのシンガー・ソングライター、浜口庫之助(くらのすけ)の作詞作曲だったということ。
スパイダース最初のヒット曲は、外部から提供されたものだったのだ。バンド内のソングライターだったかまやつが「どう思っていたかは、分からない」と堺。だが、井上は「スパイダースが、かまやつさんのオリジナル曲にこだわったことで、他のバンドも自作曲に取り組み、その結果、グループサウンズのブームが起きた」と解説した。
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堺と井上は、「ヘイ・ボーイ」「なんとなくなんとなく」「ノー・ノー・ボーイ」に続けて「フリフリ」を披露。「夕陽が泣いている」の前にかまやつが作ったが、「ヒットしなかった」と堺。
だが、「フリフリ」は三三七拍子を取り入れた不思議なリズムのロックナンバーで、かまやつの革新性がよく分かる。
この夜も観客が手拍子を打ち、これに合わせて出演者全員が、電車ごっこをする子供のように列をなしてステージを動き回り、総立ちとなった観客から盛大な拍手を送られた。
「フリフリ」は、高音を駆使した堺の渾身(こんしん)のボーカルも聴きどころだった。
アンコールは全員で「あの時君は若かった」と「バン・バン・バン」を披露。
レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」のギターリフを巧みに改変したかのような、堂々たるロックナンバーである後者では、怒濤(どとう)の演奏が繰り広げられた。
とりわけ、エンディングがおもしろかった。井上がバンドの指揮を始め、演奏を終了させない。演奏が延々と続く中で、井上から堺、堺から松任谷と指揮がバトンタッチされる。
コミカルなやりとりだったが、音楽家同士ならではの絶妙な息の合い方は、スリリングでもあった。
スパイダース解散後、テレビのマルチタレントとして幅広く活躍する堺と井上だが、芯はいまでもバンドマンなのだ。天国で、かまやつも、にやりと笑っていそうではないか。
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演奏が終わるとスポットライトを浴びた井上が、「かまやつさん、出会えてよかったです。感謝です」と語り、舞台を去った。
それぞれの思いを一言、かまやつに伝えてステージから去るという趣向だ。
続いて堺は、「おわびをしなくては」と切り出した。
かつて、かまやつに、「どうにかなるさ」というスパイダースの曲は、あるカントリー曲に「ところどころ似ている」と伝えたことがあったが、これは間違いだったというのだ。
かまやつは、「いい曲って似ちゃうんだよね」と答えたそうだが、堺は「よく聴いたら、ところどころではなく、まったく、そっくりでした」と客席を笑わせて去った。
ユーミンは、かまやつとのメールを読み返したら「ほとんどが食事の約束だった」と笑った。最後のメールは平成29年2月17日。かまやつが友人と交わした最後のメールだったという。
さらに森山、直太朗、今井、LIFE IS GROOVEが、それぞれの思いを語った。
これを受けて、TAROが「ムッシュは、すごい人だったんだね。父親をやってくれてありがとう。すてきなコンサートでした」と語り、ステージを去った。
最後に一人残ったのが武部。「僕が音楽を作ってこれたのは、ムッシュと出会ったから。心から感謝しています」と涙声で語ると照明が落ちた。
おしゃれで、ダンディーで、フランスかぶれだからムッシュと呼ばれ、日本の軽音楽史の礎を築いたミュージシャンにふさわしい七回忌法要だった。(石井健)
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「ムッシュかまやつトリビュート for 七回忌」。3月1日、東京・東京・LINE CUBE SHIBUYAで。2時間10分。