自転車で香港を出発し、中国、ベトナム、ラオスを抜け、タイに入国した。私はこの国を訪れるまで旅行作家を志していたのだが、バンコクのヤワラートという売春と薬物の巣窟に足を踏み入れたことで人生の方向が大きく変わってしまった。自転車で各国を旅した道中では美しい景色をいくつも見たが、最終的に私が魅了されたのは「アンダーグラウンド」な世界だったのだ。
その結果、自転車旅を終えて帰国した後はそれなりにいい大学を卒業したにもかかわらず、就職もせずに大阪・西成のあいりん地区に潜入した。その生活を「ルポ西成」(彩図社)にまとめ、次なる居住地に選んだのは、「かつて」東洋一の歓楽街と呼ばれる東京の新宿・歌舞伎町である。
あえて「かつて」と書いたのは、いまの歌舞伎町が昔と比べて随分と平和な街になったからである。現代の歌舞伎町をルポするにあたって街を飲み歩くと、私に投げかけられる言葉は、「今の歌舞伎町はつまらない」というものばかりだった。
私が初めてここを訪れたのは2011年のことだ。長らく街の象徴であった「コマ劇」(08年閉館)は一度も見たことがない。しかし、昔の話を持ち出して今をけなすのは、今しか知らない私にとってはかなり引っかかった。ならば、そんな人たちをアッと言わせるような面白い話を自分が見つけてしまえばいい。そうして、私は歌舞伎町で暮らし始めた。
新居に選んだのは、明治通りにある赤茶色をした14階建てのマンション。別名「ヤクザマンション」と呼ばれており、一般人の住居として使われている部屋はほんの一部だ。ホストの寮、風俗嬢の待機所、民泊として使われているほか、キャッチや風俗スカウトなど、違法で働く歌舞伎町の住人たちが多かった。竣工した1980年代と比べれば、その数は減るものの、令和の今でもこの物件には多くの暴力団が事務所を構えている。