川崎宿起立400年(上)

残った道に風景しのばせる彩り

産経ニュース
川崎信用金庫本店のシャッターに描かれた浮世絵=川崎市川崎区
川崎信用金庫本店のシャッターに描かれた浮世絵=川崎市川崎区

「浮世絵マンホールカード、ください」。2月の昼時、川崎市川崎区の旧東海道沿いにある「東海道かわさき宿交流館」は親子連れや夫婦、外国人観光客らでにぎわっていた。

カードに印刷された浮世絵マンホールは平成30年、市内の旧東海道沿いに登場した。江戸時代に宿場町として発展した東海道川崎宿の歴史を伝えるため、木船で川崎宿に向かう旅人たちを描く歌川広重の浮世絵「東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟」をもとにデザインした。注目を集めたマンホールを生かしてさらにPRしようと、今年2月からカードの配布が始まった。

大名や旅人らさまざまな人々が通り、旅籠(はたご)や店が並んでにぎわった川崎宿は今年、起立から400年となる。この機に川崎宿に光を当て、街を盛り上げようと、20年ほども前から地域住民を中心に民間、行政が一体となって準備を本格化させてきた。

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大名、飛脚、松尾芭蕉や初代米国総領事のハリス…。平成13年、鮮やかな衣装を身にまとった人たちの〝大名行列〟が川崎競馬場を出発して旧東海道に入り、約3キロにわたって練り歩いた。

旧東海道沿いに設置された浮世絵マンホール=川崎市川崎区

宿場を整備する制度が制定されてから400年を記念して地元住民らが主体となってイベントを開催。パレードでは沿道から10万人以上が観覧したとされる。

この盛り上がりを後の川崎宿起立400年につなげ、行政と協働して川崎宿の歴史や文化を生かした街づくりを進めていこうと、地元有志らが16年に「東海道川崎宿2023」を発足。代表を務める原宇八郎さん(80)はパレードの光景に心を打たれ、実際に旧東海道を含む五街道を全て歩いた。旧東海道の歴史を勉強して検定も受けるなどのめりこんでいき、「ここに宿場町があったことを皆さんに知ってもらいたいと思った」。

25年には市が関連資料の展示などを通じて川崎宿の歴史を伝承し、地域活動を活発化させる拠点として東海道かわさき宿交流館を開館し、街並みに変化が生まれた。

街灯に掲げられた浮世絵フラッグ=川崎市川崎区

交流館が配布する街歩きシートを手に京急電鉄八丁畷(なわて)駅から「旧東海道」の道しるべに従って繁華街、砂子交差点を抜けて六郷橋へと歩くと、街灯に掲げられた浮世絵のフラッグ、浮世絵の描かれたシャッター、毛筆風に通りの名称が書かれた看板、当時の建造物などに関する案内板が目にとまる。随所に施された工夫が、かつてここにあった宿場町の風景を思い浮かばせる。

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航空写真や地図を見てみると、多摩川にかかる六郷橋から鶴見方面へ、途中でカーブを描きながら延びる一本の道が浮かび上がってくる。

交流館の副館長、濱舘幸二さん(68)によると、他の地域では当時の宿場町の道が街の整備などを通じて姿を消したところもあるのに対して、川崎はほぼそのまま残っているという。「国道と東海道本線のちょうど間に残り、道自体は潰されなかったんです」

人の往来、輸送を支えた川崎宿の歴史に対する地域の愛着は強い。起立400年の盛り上がりを伝える。(橋本愛)

■川崎宿

宿場を整備する制度が制定された慶長6(1601)年から22年後の元和9(1623)年に川崎宿は誕生した。東海道には日本橋から京都までの間に53カ所の宿場が設置され、各宿場は次の宿場への通信や運輸の機能を持っていたほか、大名や旅人の宿泊・休息の場として栄えた。川崎宿は現在の六郷橋から小川町までの約1・5キロに旅籠や茶店などが並び、川崎大師への参詣や江戸からの物見遊山でにぎわったという。

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