関東地方の山間部。待ち合わせたひなびた駅のロータリーに、泥やへこみが目立つ自家用車で迎えに来てくれた。人目をはばかることなく、ごく自然に。
俳優の東出昌大(ひがしでまさひろ)さん(35)は今、狩猟をしながら山中の一軒家で半自給自足の生活を送っている。
家族、キャリア…全てを失った
「寄るところがあるんですが、大丈夫ですか」。主演映画のロケ地だった広島の土産を、普段世話になっている地元の人たちに配って回る。お返しにと、新鮮な卵を持たされた。
独り身の山暮らしといっても隠遁(いんとん)の趣はなく、土地の人とのかかわりは深く濃い。ふもとのスーパーで薬味にする長ネギとショウガを買い、山に上がる。自らさばいたシカ肉の刺し身としゃぶしゃぶを振る舞ってくれた。
「文春砲」と呼ばれた週刊文春のスクープの中でも指折りの不倫報道。だれもがうらやんだ有名俳優同士の夫婦関係は破綻し、2年半前に離婚した。家族、キャリア、信用…。全てを失い、負債だけが残った。
「ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。ずっと考えていました。考えてハッとし、また足元が抜けたような喪失感に襲われて」
身から出たさび。反省が足りない。まだ身の程を分かっていない-。交流サイト(SNS)が強烈なアンチの立場から、もう一人の「東出」を造形し、加工する。「耐えたくない、もうしんどいなあって場面も、もちろんありましたね」
それがもう3年。肥大化したネット上の「東出」を今は遠い存在を見るようにただ黙って眺めている。
この場所に来て、「命」に思いを巡らすことが多くなった。一人銃を担ぎ山に入る自分、生息域で草を食(は)む獣。その運命が交錯するまで双方が歩んできた道。
「じゃあ、お風呂行きましょうか」。あるべき自分を考えない。同時に、あるべきものとして見られる俳優でしか生きられない。地元温泉の湯煙の中で、つかの間、沈思黙考する。
ガスなし6畳の生活 山は青二才の「でっくん」を受け入れた
役者の「顔」とは何だろう。自分であって自分ではない。言葉で繕わず、自然体でいるとは何だろう-。東出さんは関東地方の山で暮らす。駆け出しの頃からのあこがれだった狩猟免許を取得、銃を手に森に分け入り、一人獣(けもの)と相まみえる。俳優の仕事があるときは山を下りる。あの騒動から3年。一人の時間だけはたっぷりとあった。逃げてきたわけでも、開き直ってもいない。静寂に身を浸し、今も考え続けている。
「おーい、これ頼むわ」
明け方、軽トラックで先輩猟師が獲物を持ってやってくる。このあたりは兼業農家が多く、柿やブドウなど農産物の収穫時期と重なると、獲物をさばく時間がない。害獣駆除が目的で、肉を食べない人も多い。
「猟師のおっちゃんたちの間では、東出のところに持っていけば『食うみたいだぞ』って」。自ら解体し、冷凍庫に保存する。
1年ほど前から山間の古い一軒家で暮らす。狩猟の下見でこの地を訪れ、家主の男性と親しくなった。空き家だったため、厚意で住まわせてもらっている。6畳一間が生活スペース。電気こそ通っているが、ガスはない。山から流れる水を引く。炊事場とかまど、食事のスペースは軒先にある。
「でっくん、撮影から戻ってきたの」
土地の人や猟師仲間には「でっくん」と呼ばれている。朝な夕なに訪ねてきては、世話を焼いてくれる。タケノコをゆがくにはどれくらい米ぬかを入れるか、キノコの食べられる、食べられないの見分け方。「東京から来た青二才に教えてやろうと、みんな面白がってくれるんです」
風呂はないので、車でふもとの温泉へ行く。ほとんどが年配の常連客。東出さんを俳優だと知る人は少ない。「あんたにいい人がいる」。見合い話を持ちかけられることもある。
うらやむ存在から一転
妻が好きなのか、共演者が好きなのか-。「どちらですか」。芸能リポーターの詰問に顔が硬直した。
「申し訳ございませんが…」
明言を避けたことが、さらに批判を呼んだ。令和2年1月の週刊文春。人気絶頂だった東出さんの、過去の共演者との3年にわたる不倫関係をすっぱ抜いた。人気俳優だった妻は当時、育児に追われていた。「人でなし」。広くシェアされたそれまでのイメージを裏切ったとき、世間の怒りはすさまじかった。
長身痩躯(そうく)に、端正な顔立ち。高校在学中、男性ファッション誌「メンズノンノ」の専属オーディションでグランプリを獲得した。モデルとして、世界のトレンドをリードするパリ・コレクションにも出演した。
その後、活動の幅を広げようと俳優に転身。デビュー作となった映画「桐島、部活やめるってよ」(平成24年公開)で数々の賞を獲得した。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」(25~26年)でヒロインの夫役を演じ、実生活でも夫婦に。テレビに映画、CMと役者稼業も順調そのもの。誰もがうらやむ存在だった。
スタイルは「単独忍び」 銃担ぎ、感じる血の沸騰
日が暮れると、夕食の支度を始める。シカ肉の塊を冷凍庫から取り出す。背ロースの刺し身、しゃぶしゃぶ、カツ。臭みはない。引き締まった肉質で、飽きがこないうまさだ。
東出さんは実弾を装填(そうてん)して行う第一種銃猟免許を持っている。猟友会から有害鳥獣駆除の認定も受けており、一年を通して猟ができる。昨年4~12月で仕留めたシカなどは31頭。ただ肉が余っているときは無理に猟に出ない。
昔、映画撮影のため宿泊していた地方のホテルに、千松信也さんのエッセー「ぼくは猟師になった」(新潮社)が置いてあった。「いろいろな経験が、役者の顔や芝居での居ずまいをつくる。自分に足りないものはプリミティブ(野性的)な要素だと思って」。免許を取得したのは、多忙を極めていた29歳の頃だ。
スタイルは一人銃を担いで獣を追う「単独忍び」。良い猟場を求め、夜のうちに森の奥へ。獲物を視界に捉え、撃つ寸前は、瞬時の判断が要求される。発砲後のバックストップ(弾止め)はあるか、公道を外れているか-。心拍が上がる。頭の回転が加速し、時間の流れはスローになる。「血が沸騰するような感覚」。引き金を絞る。
シカもその習性や本能に従い、その晩の獣道を選んだはずだ。片や単独で山に入った自分も、何かの拍子にけがをして下山できなければ死ぬかもしれない。さまざまな分岐点があり、それぞれ進んだ道の先で今、相対している。「生きてるってことは実感しますね。双方生き物なんだって」
ネットの悪意、誤報にも無言貫くわけ
不倫騒動からしばらくは「全国指名手配犯のようだった」と振り返る。離婚後も養育費の支払いなどを巡る続報がやまず、虚実ないまぜの情報が拡散された。
自身に向けられるネットの悪意に、釈明や反論をする気はない。自分から何かを発信し、自分だけに跳ね返ってくるわけではないことはもう分かっている。家族に関係する報道は特にそう。誤報にも無言を貫く。
最近、映画のプロモーションを兼ねてあるメディアの取材を受けたとき、「ネット民について、どう思うか」と聞かれたという。
ネットの罵詈雑言(ばりぞうごん)は、そもそも芸能メディアの誤情報や憶測がソースであることも多い。「その発信源の是非を語らず、ネット民だけを僕が批判するのも、違うと思います」。後日の記事。ボツになったその発言の代わりに「養育費」の見出しが躍っていた。
「いやあ世知辛いっていうか、さみしいなあって」
このままでは幕引けない
もともと役者として器用なタイプではないという。演じる人格が降臨したように、カメラが回っていないところでも役のまま生きることができる名優もいる。そんなふうにはなれない。
「役者って結局、何者でもないと思うんです」
騒動の後、ネガティブな立場から語られ、消費され続ける「東出」というコンテンツ。自身を離れて増殖するイメージを、今は遠巻きに見つめるだけだ。
一方で、それ以前が本物の自分とも思っていない。「僕は僕なりに、今まで作ってきたものが虚像だったっていう違和感を自分の中で持ちながら、仕事をしていたんです」
新型コロナウイルスと閉塞(へいそく)感が蔓延(まんえん)する中で、同業者の不幸にも相次いで接した。「命ってなんだ」。ずっと考えていたという。
それでも生きるんだという、前向きな志向に至ったわけではない。ただ東出さんには、幕を引けない理由があった。子供の存在を思うと、身から出たスキャンダルでどうにかなってしまうような父親には、なりたくなかった。
たどり着いたのは素の自分。いい芝居をしよう、イメージを上げよう、そんな作為からは距離を取る。同時に、マスコミの取材に一切応じず、殻に閉じ籠もるような不作為も選ばない。
「実人生が役者の顔を作る。だから実人生は無視できない」。良質のドキュメンタリーの被写体のように、そのままの自分が演者であるような、そんな芝居ができないか。
無数の「いいね」を受け止めて
東出さんの山暮らしも、すでに多くのメディアで報じられている。一軒家が立つ敷地内に、新たに住む小屋を作っている。「身の丈に合った8畳くらいのやつです」。今春には完成させたいという。
《勝手な人生》
《自分を見失うと動物殺したくなるとか、あるんですか?》
相変わらず、SNSの書き込みは辛辣(しんらつ)だ。役者の後輩たちも遊びに来るようになったが、東出さんのもとに集まる後輩を特定して「絶対応援しないでおこう」というコメントに、数万という「いいね」が付いていた。
気ままな「仙人暮らし」ではない。そんな「いいね」を受け止めつつ、山で生きている。
◇
ひがしで・まさひろ 昭和63年、埼玉県出身。モデルとして活躍し、平成24年、映画「桐島、部活やめるってよ」で俳優デビュー。同作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。以降も多数の映画、ドラマに出演。今年1月に公開された主演映画「とべない風船」では、豪雨災害で妻子をなくした瀬戸内海の小島の漁師を熱演、絶望の先の「生きる」を表現した。現在はフリー。スケジュール調整や請求書作成も自ら行う。
取材記者は…自然体の裏の苦悩
「思うところはあるんです。でも…」
昨年12月上旬に取材した際、温泉の露天風呂に一緒に漬かっていると、東出さんがそう切り出した。両親の離婚後も、双方に親権を認める「共同親権」について、東出さんの考えを聞かせてもらえればと、取材の申し込み段階で頼んでいたのだ。
だが離れて暮らす子供の存在を思えばこそ、誤解を招きかねない発言は控えたい、という。こちらから尋ねても同様に答えていただろうが、質問事項としてリストアップしながら、本人を前に聞き出そうとしない記者の心情を推し量り、自ら口にした。さりげない優しさ。それ以上は迫れなかった。
山での生活は、巷間(こうかん)流布されるイメージとは違う、新たな「東出昌大」をアピールしたいからではないのか。実際会うまではそう思っていた。
現地で普段の山暮らしを共有させてもらい、うがった見方だったと気付かされた。「想像以上に『山』でしたか?」。いたずらっぽく聞く東出さんの笑みが印象に残っている。
自分の気持ちに折り合いをつけるべく山でもがいているようにも映った、と書けばもっともらしいが、たぶん外れている。ただ、ふとしたときにそう見えなくもなかった。そう感想を伝えると「大げさですよ」と一笑に付された。(矢田幸己)
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