動物実験を含め、有効な治療法がなかった重症の脊髄損傷に対し、ヒトiPS由来の神経幹細胞の移植と細胞の生着率を高めるための治療法を併用することで、運動機能と排尿機能の回復に世界で初めて成功したと、慶應義塾大学の岡野栄之教授らのグループが発表した。これまで回復が困難とされていた「慢性期」の脊髄損傷に対し、新たな治療法が開発される可能性が見えてきた。
脊髄環境の改善で生着率が向上
脊髄損傷の治療をめぐっては同研究グループが現在、「ヒトiPS細胞由来神経幹/前駆細胞移植」という、未分化の状態で増殖して中枢神経系を構成する細胞に分化する幹細胞を用いた移植療法の臨床試験を行っている。しかし同研究の対象となるのは脊髄損傷後約14~28日の症状が固定していない「亜急性期」の症例のみ。受傷後約28日以上が経過した「慢性期」で、脊髄の神経線維が完全に分断された「完全脊髄損傷」の症例では、炎症反応の持続や瘢痕(はんこん)組織(治癒するときに生じる結合組織)、脊髄の空洞化による影響で移植細胞の生着率が悪く、機能改善が見込めないという。
そこで研究グループが着目したのが、神経再生が阻害された脊髄環境を整える治療法を併せる複合治療だ。受傷後間もない脊髄損傷の治療法として有効性が検証されている、神経保護作用などをもつ「肝細胞増殖因子」と、外傷や熱傷に対する人工真皮として臨床応用されている「コラーゲンスキャフォールド」(人工足場材)とを組み合わせて完全脊髄損傷ラットの損傷部に投与し、再生が阻害された脊髄環境を改善させることで「ヒトiPS 細胞由来神経幹/前駆細胞移植療法」の効果が発揮されるかを検証した。
その結果、肝細胞増殖因子を含むコラーゲンスキャフォールドを損傷部に投与することで、血管新生の促進や炎症反応の改善、瘢痕組織や脊髄空洞化の減少など、脊髄環境を修復することに成功。移植した細胞の生着率が向上し、新たな神経回路の構築効果が増強され、リハビリによって運動機能や排尿機能を改善されることを確認した。
脊髄損傷は、交通事故などの外傷によって損傷部以下の運動・知覚・自律神経系の麻痺が起きる病態。毎年約5000人の新規患者が発生しており、国内の累計患者数は現在10~20万人にのぼるといわれている。なかでも慢性期の完全脊髄損傷の患者が大多数を占めるが、これらの症例に対しては動物実験でさえも有効な治療法が確立されていない。
今回の結果について研究グループは、「慢性期完全脊髄損傷に対して、本研究結果を基にしたさらなる複合的治療の開発や臨床応用が期待される」としている。