竹下登内閣から村山富市内閣まで7つの内閣で事務方トップの官房副長官を務めた石原信雄(いしはら・のぶお)氏が死去していたことが31日、わかった。96歳。
群馬県出身。昭和27年に東大法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)に入庁。岡山県総務部長、自治省財政局長、事務次官を経て、62年、竹下内閣で官房副長官に就任。以後、村山内閣までの7つの内閣で計約7年3カ月にわたり歴代政権を支えた。
在職中は昭和天皇の崩御や新元号「平成」の制定、国連平和維持活動(PKO)協力法の成立、消費税導入などに関わったほか、阪神・淡路大震災の復旧・復興にも尽力した。
約7年3カ月の在職期間は、安倍晋三内閣と菅義偉内閣の杉田和博氏(警察庁出身)の8年9カ月、村山内閣から小泉純一郎内閣まで5内閣の古川貞二郎氏(旧厚生省出身、故人)の8年7カ月に次ぐ3位だった。
退官後、平成7年に東京都知事選に自民党などの推薦を受けて立候補したが落選。その後は地方自治研究機構会長などを歴任した。