世の中は児童手当論争一色だが、保育に携わる関係者の切なる願いは長く実らぬままだ。
「配置基準の見直し」だ。子供の数に対する保育士の数を決めた基準で、例えば4、5歳児では、子供30人に保育士1人。子供の数が少ない方が、良質な保育が期待でき、25人への移行が課題だ。消費税引き上げ時に財源不足で見送られ、政府は以来「その確保に最大限努力する」などと資料に記載し続けている。全面的な実施はいつになるのだろう。
保育業界の低賃金や疲弊を招く要因の一つでもある。業務が逼迫(ひっぱく)し、施設側は質の低下を防ぐため、基準以上に職員を置こうとする。だが経営は苦しく、非正規雇用に頼りがちだ。
保育は女性の多い職場だ。若い人が安定的に雇用されて将来を思い描ければ、何よりの少子化対策になると思う。だが、政策はどうもチグハグである。
改善が進まないのは、財務省的には「財源がない」ということだろうし、政治的には「地味な課題」ということなのかもしれない。
安倍晋三首相の下では、3~5歳の幼稚園や保育所などの利用を原則無償化する「幼児教育・保育の無償化(幼保無償化)」に先を越され、岸田文雄首相の下では「児童手当の拡充」に注目が集まる。いずれも、必要額は格段に大きく、派手で分かりやすい。
だが、例えば無償化自体は良いとしても、一体、中身を伴う無償化を実現し、狙いは果たせたのか?
平成25年に、無償化に関する初の関係閣僚・与党実務者連絡会議が開かれている。参考資料に「幼児教育の効果」が示された。
代表的な研究成果に挙がったのは、欧米で脚光を浴びていた「ペリー就学前計画」。自主性を促す幼児教育を提供した子供には、知能指数や学力よりも意欲や粘り強さといった「非認知能力」が育つ。長じて基礎学力の達成、中退の減少や高い収入につながることが分かった研究である。
対象は経済的に恵まれない世帯の子供だ。支援内容には、毎週の家庭訪問や親を対象としたグループミーティングも含まれる。「幼児教育」とは様相の異なる社会福祉的な取り組みだ。
欧米で注目された理由は何よりも「費用対効果」が抜群だったから。小さな投資で子供の人生に極めて大きな価値をもたらす。
それがなぜ一足飛びに幼保無償化になるのか分からない。「似て非なる」という言葉があるが、似てもいない気がする。本気で似た取り組みをしてほしい。
財源は限られている。だから、政策には何を実現するのか理念と優先順位が必要だ。
政府の全世代型社会保障構築会議が昨年末、ヒントを示している。幼稚園や保育所に通っておらず、サービスが手薄になっている0~2歳児への支援の必要性を指摘。児童手当拡充は、その体制を構築した「後」の課題だと明記した。
幼保無償化や児童手当の拡充は人気を呼ぶだろう。しかし、費用は莫大(ばくだい)で効果や政策目標の達成はあいまいだ。政治の役割は本来、現金給付で派手な対症療法をすることではなく、地味な仕事で社会の構造を変えることだと思う。
社会保障の給付が若い働き手に還流し、子供の将来を良くする仕組みづくりに本気で取り組んでほしい。(論説委員)